私はこうして会社を辞めました(23)―夜の経営者たち

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(敬称略)

22238 90年代のニューヨーク、倒壊前の世界貿易センタービル

 90年代半ばの上海、夜のエンターテイメントが少ない。いまこそ、邦字タウン誌をめくれば数百軒単位の飲み屋やクラブを選ぶに苦労するほどだが、当時は、日本人駐在員がよく利用するカラオケクラブは十数軒だけだった。私が日本企業の接待でよく使うのは二店、外灘に近い延安東路沿いの南側にある「なにわ」と復興東路にある「新淮海クラブ」。

 私は通常経営者を見て店選びして常連客になる人間なのだ。私が使っていたこの二店は、ともに経営者が素晴らしかった。お金を取ろうというよりも、一生懸命サービスする姿勢が素晴らしい。結局、私がこの二店にたくさんのお金を落としてしまったが、まったく後悔はしていない。

 「なにわ」は、後日延安路高架の建設で立ち退きになり、いまは外灘近くの広東路・河南路角(ウェスティン上海の北側)に移転し、「立泰クラブ」に改名して営業している。90年代にバリバリ働いた美人ママは、派手な商売でありながらも地道にコツコツやる努力家だった。かなり商売が繁盛して財を成したとは思うが、ここのところ夜のビジネスから脱出していま日中貿易に専念しているようだ。

 「新淮海クラブ」の店長の許も、同じような努力家だった。日本人客のもてなしのつぼを心得ていてパフォーマンスが素晴らしかった。許は、いま、古北のあの大型クラブ「ねるとんクラブ」の経営者になり、実業家としてのサクセス・ストーリーを見事に作り上げた。

 その二店に、私が接待で連れて行く日本人お客様のほとんどが気に入って、また彼たちも次回接待で使うようになり、違う客が紹介され、どんどん客層が膨らんでいくわけで、まさに口コミで人気を呼び、さらに人気が広がる好循環だった。

 いまの上海の夜の世界は、玉石混交だ。タウン誌のほか、インターネットでも情報が氾濫しているが、中に客の経験談を装って、自店の宣伝をするサクラもたくさん混在している。サクラをやるなら、ちゃんと合格なサクラで洗練されたものにしてほしい。「美しいくてやさしいの小姐」とか、明らかに中国人が日本人を装って書いた間違いだらけの日本語コメントも散見され、仰天するほどだった。内容も、「お客様」の目線を意識していない、ただ抽象的な宣伝に過ぎなかった。これでは逆効果になるから、下手なサクラはやめた方が良いと思う。

 サクラでも、詐欺でも、犯罪でも、せいぜい手口を洗練されたものにしてほしい。「悪」でも「悪の品質」が問われる。中国製は安かろう悪かろうというが、「悪」の品質まで不合格になっているのでは呆れるばかりだ。チンピラでもたびたび下手な窃盗で御用になるのでは出世できない。がんばって将来やくざのトップを目指すくらいの根気をもたないと・・・「悪」なら悪の道を極め、悪のプロになることだ。

 飲み屋の広告宣伝は胡散臭い。無料タウン誌などの雑誌は広告料で経営を成り立たせるわけだから、宣伝の中身に対してなんら責任も負わないのが当たり前だ。その辺、消費者として店を見極める目を養う必要があるのだ。そして、試行錯誤のための投資も惜しんだらダメ。

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