私はこうして会社を辞めました(24)―プラトニックの純愛?

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(敬称略)

22262 90年代の台北旅行、私は蒋介石氏のファンです

 90年代当時、夜のカラオケクラブ通いを日課とする上海駐在の日本人がたくさんいた。接待、中国語の勉強、おしゃべりの相手探し、色気目当てなど目的はいろいろだが、これに限ってはいまでも変わらない。最近は、駐在員同士で連日カラオケクラブ通いに精を出す人は、大分減った。店舗の氾濫で食傷気味になったことも、不況で接待費削減、財布の紐が固くなったこともあるが、小姐の世代交代も無視できない。

 今の上海の夜の小姐は、まずお金だ。チップ制クラブの彼女たちはほぼ無給で働くわけで、客がつかなければ収入ゼロになる。一部いわゆる「お餅」小姐も、当然しかるべき相場がある。客と小姐の間の純愛関係は、90年代より全般的に減少傾向に転じていると言ってよいだろう。今は、「純愛」にはプライスが付き、きちんと経済学の法則が生きている。

 90年代の上海のカラオケクラブの小姐は、全般的に今より純朴だったような気がする。中国はまだ完全に開けておらず、海外から来た人間はある種アイドル的な存在だった。駐在員の数も現在より少ないので、「市場価格」が相対的に吊り上げられた時代だった。そこで、顧客と小姐の関係という一線を越えて純粋なる恋愛関係に陥るケースも少なくない。私が知っている当時の日本人駐在員で、小姐と恋に落ちたり、さらにプラトニックの純愛以上の関係をもったりする人は何人もいた。

 金銭のやり取りがなくなれば、それは純粋たる純愛になるわけで、美しくも大変危険である。不倫の泥沼に陥っては中国版「失楽園」を演ずるほどの財力と気力があればよいのだが、むやみにロマンを求めると身の破滅になる。

 純愛だろうと金銭的な繋がりだろうと、中国の場合カラオケ小姐に絡んだトラブルがかなり多い。カラオケ店の小姐との付き合いで、国家秘密漏えい問題まで発展し、自殺まで追い詰められた在上海日本国総領事館館員事件を思い起こしてほしい。2004年 5月、領事館内の宿直室で自殺した領事から総領事あての遺書には、「一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」、「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と記されていた(遺書内容は、百科事典『ウィキペディア』より引用)。

 大変痛々しい事件だった。そもそも事件の発端はカラオケ店の小姐だったことは間違いない。領事館員が一国を代表する外交官として、カラオケ店の小姐と関係を持つこと自身けしからんという人もいるが、領事館員でも生身の人間である。愛を求め、愛される本能と権利がある。事件で犠牲になった領事館員の個人的責任もあるだろうが、外務省の在外領事館員の人的リスク管理の粗末さを非難せずにいられない。

 日本人駐在員の心の健康、会社はどのように対処しているのだろうか?数年前、私が知っていた古北にある某高級日本人女性専門クラブのマネージャー(これも日本人女性)が社宅で首吊りでなくなった。死の前々日に会ったときも元気だった方がなぜこのようなことになったか、私は大変ショックを受けた。最近、上海で毎年自殺する日本人の数が二桁にも上ると聞くが、深刻な問題になっている。心の病み、仕事上のトラブル、異性関係など自殺を図る背景は多岐にわたるが、メンタルケアにもっと力を入れ、危険の予兆を早期発見すれば悲劇は少しでも避けられたのではないか。

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