コロナ遺体収容策に着手、マレーシアの危機管理に学べないニッポン

 貨物コンテナ―を、遺体臨時安置スペースに改造。連日コロナ感染者・死亡者の増加(一部地域は急増)を受け、マレーシアはインドになるまいと、最悪に備えての準備に着手した(5月18日付南洋商報)。

 こういうことは、日本ではなかなかできない。死人収容の準備なんてとんでもない。言霊文化もあって、ワーストシナリオを描けないし、確実に準備もできない。何もかも「空気」醸成しないと、動けない。

 将来のワーストシナリオどころか、悪い現状を述べただけで、「煽り」だと指弾されるのがオチ。最近、さらにイデオロギー的に左翼レッテルを張られたりもする。左右の問題でなく、生死の問題なのに、弁別のできない思考停止の輩がいるのだ。

 戦時の大本営発表、本質はそのまま変わっていない。希望的観測に反することを言い出せない。言い出しっぺが叩かれる。だから、普通の人は誰も言わない。空気が変わったら、悪果が出た時点で「想定外」で片づければいい。言い出しは「想定」なので、タブー視されるわけだ。それだけ馬鹿げている。

 こういうことを言っていると、政治家が悪い、戦後憲法が悪いと言い出す人もいるだろう。常に他人が悪い。たとえそうだとしても危機になって被害を受けるのが自分なのだから、せいぜい危機意識をもって自己防衛をしようではないか。

 実は、それができない日本人が多いのだ。できなくてもできるフリをしよう。諸葛孔明の「空城の計」を真似てやろうよ。フリもできないのが正直な日本人なのだ。それがまさに「馬鹿正直」。リスクや危機に対する自身の脆弱性をさらけ出した以上、喜ぶのが誰かが自明の理だ。

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