コロナとの付き合い方(あるいは、戦い方)。人類にとって目下もっとも関心のあるテーマである。それを様々な角度から複眼的に捉えてみると、本質が見えてくる。概ね5つのレベルに分けて考えることができる。
1つ目は、物理的遮断。個体に着用するマスクやフェイスシールド、個体と個体の間の社会的距離、そして移動や集いの抑制による物理的な距離や防御の設置がこれにあたる。
2つ目は、化学的遮断。手洗い、器具や設備、物品、空間等に対する消毒作業など、ケミカル系のアルコールや消毒液を駆使した遮断手段を指す。
3つ目は、生物学的遮断。誰もが知っているワクチン接種である。
4つ目は、心理学的遮断。個人レベルでは、ウイルス防御に対してどのような価値観や世界観、人生観をもって臨んでいるかが問われ、そうした動機付けから一連の作為・不作為が生じ、それが上記1、2、3に強く影響する。
5つ目は、社会学的遮断。社会レベルにおいて、どのような意思(政策)決定を行うべきかを検討するもっとも複雑な分野である。経済学(経済と防疫の関係)や法学(防疫規範・公共利益と人権の関係)、政治学・行政学(支配・統治・国家運営)、国際政治学(外国との関係)、倫理学(善悪の扱い方)など多岐にわたり、交差的な考察・検討が必要である。この複合分野が上記1、2、3、4のすべてに影響する。
たとえば、ほとんどの国家は今、3のワクチンを国民に打たせようとしている。その理由は5から見出すことができる。1と2の管理は実務的にできなくて、公権力を駆使すれば3によってもっとも可視的、定量的に目標(接種率)達成できるからだ。ワクチンの大義名分が立ちやすい。
では、私という一個人の事例を挙げよう。3の生物的遮断(ワクチン)に対する私の捉え方はすでに過去記事に明示した通り、ワクチンの「有効性」と「無害性」が今なお検証中であるため、リスクを取りたくない。その代りに1と2の物理的と化学的遮断を徹底する。そうした意思決定を行ったわけだ。
さらに国家と個人の関係という複合的考察がある。
国家は3のワクチン促進にあたって、プロパガンダと公権力(政治学・行政学)ないし法学(人権制限)を動員し、4の個人心理も巧妙に利用したうえで、接種者に様々なインセンティブを、未接種者には不自由・不利益をそれぞれ与え、接種率の向上に取り組む。
一方、個人レベルにおいては、プロパガンダや各自の固定概念(ワクチンは効く)に駆られ、進んでワクチン接種を受ける人もいれば、受ける意思がないにもかかわらず、経済的不利益(仕事上の不都合、失職や失注)が大きいが故に、経済学的に、接種を受け入れる人もいる。
上記5つのレベルが複雑に絡み合っている。それらをきれいに整理しておけば、いま世の中、コロナにかかわるあらゆる事象がほぼ説明できると思う。
人間とコロナの関係よりも、人間と人間の関係がもっと、もっと複雑なのだ。