マスク不要論は馬鹿げているそれだけの理由

 マスク不要論が台頭している。思うに、まずマスク不要論者は非義務化エリアで、自信を持って堂々とマスクを外せばいい。「99人がマスクをしても、たとえ1人だけでも私はしない」と、なぜ言えないのか?不要論よりも「しない宣言」をすればいい。結局、「空気」「同調」の圧力を恐れているだろう。

 他人のマスクをする自由に口を出さずに、自分だけでいいから勇気を出して「脱マスク宣言」をしてほしい。そういった「マスク不要論」のなかに、「TVを消そう」というのが面白い。TVがそんなに怖いか?大音量でTVを流しても、1人だけが残されてもマスクはつけないと、そこまで言い切ったら、本物の信念だ。

 なかに陰謀論者も多い。コロナは陰謀論で人工的につくられたウイルスにせよ、そのリスクも有害性も明らかな事実である。陰謀論批判の傍ら、マスク要らないというのはいささか論理の飛躍だ。保守の中にも非論理的な愚がたくさんいる。

 「テレビを消し、PCRを受けず、マスクもしない。コロナの波は終わる」という文言を見て思わず吹き出した。それはある意味で正しい。コロナはいずれ終わる。ただもう一言を追加すると、完全正論になる――「後遺症を恐れず」。その一言を追加する勇気を持って宣言してほしい。

 病床使用率コロナ後遺症。――マスク不要論者の言説には、絶対に出てこない2つの概念。それらが彼たちの論理破綻につながらからだ。PCR検査を減らせと叫んでいるが、PCR検査を減らして入院数が減るのか?論理の脆弱性と幼稚性が明らかだ。

 日本人は以前コロナ感染率が低かったときは、衛生面の習慣が良いと主張した。今感染が最悪になったら、マスクが効かないと文句を言う。もう少し論理的にした方がいい。それなりの文脈を作ろう。

 A. マスクをしてもこんなに大量感染する。だからマスクをつけなくてもいい。
 B. マスクをしなかったらもっと大量な感染者が出る。だからマスクをつけなければいけない。

 論理は色んな構成がある。専門家も為政者も最終的に「マスクは感染を増やす」という反証がない限り、Bを選択する。法律があっても犯罪が増えているじゃないか。だったら法律は要らない。それは、通用しない。

 議論とは、自分の希望的観測を裏付ける材料ばかり寄せ集めると、必ずどこかで破綻する。自分の主張に対抗する反証とも真摯に対話して初めて確固たる論理が出来上がる。自分に都合の良い材料や思い込みだけを積み上げると、結局同類の傷の舐め合いにしかならない。

 はっきり言おう。マスク不要論は、馬鹿げている。私はどちらかというと、中国のゼロコロナ型政策を支持している。ゼロコロナは、感染者をゼロにするのでなく、感染者桁のゼロを減らすためのものだ。

 マスクを着用したくない人は、法定着用義務のない場所でつけなければいい。

 法定着用義務がある場所では、我慢してマスクを着用するか、その場所へ行かないか、国や行政や業者を訴えるかのどっちかを選べばいい。マレーシアでは、屋外のマスク着用義務が免除されているが、ほぼ95%以上の人がマスクを着用している。場所によっては100%着用も少なくない。

 私はマスクを着用するが、ワクチンだけは留保にしている。だから、ワクチン接種義務のある場所へは行かない。ワクチン接種者の意思と権利を尊重しなければならないからだ。

 自由とは何か。

 1. 他人の自由や権利、利益を侵さないこと。
 2. 自由に伴う責任と義務を果たすこと。
 3. 結果としてのリスクを引き受けること。

 これを理解せず、一方的な自己肥大化した自由は、民主主義の堕落を招来する。

 今の時期は、マスクはTPO。私はマレーシアの法令を厳格運用し、2メートル以内に人がいる場合、室内外にかかわらずマスクを着用している。

 もちろん、私は、マスク不要論を否定する立場である。

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