私はこうして会社を辞めました(44)―アルハンブラ宮殿の残照

<前回>
(敬称略)

2351299年夏、ポルトガル・リスボン近郊コスタ・ド・ソル(太陽海岸)の小さな漁村で

 上海と香港の仕事はそろそろフィナーレを迎え、そして新たな旅立ちが・・・1999年夏、このような予感がした。

 「ヨーロッパへ行こうか」、北朝鮮旅行でスペインをキャンセルしたことを思い出し、私が突然妻を旅に誘った。

 香港を飛び立った私と妻は、ロシアのサンクトペテルブルクに立ち寄り、白夜を見てから、ヨーロッパの南の果てを目指した。マドリッドから南下し、スペインのアンダルシア地方を回って、陸路で国境を越え、ポルトガルに入る予定。旅のテーマは、「アルハンブラ物語」とポルトガルの民謡ファドだった。

23512_2ポルトガルの古城ホテル、ポサーダ・デ・パルメラ

 「アルハンブラ物語」は、ワシントン・アーヴィングが19世紀にスペインのグラナダを訪れ、当時あまり知られていないアルハンブラ宮殿に滞在した経験と、そこにまつわる歴史・伝説を書き綴った紀行文学の名作である。ヨーロッパ大陸にある夢のごとく美しいアラブの世界を描くこの本を読み耽った人は、死ぬまでに一度はアルハンブラ宮殿に行きたいと思わずにいられないというが、私もその一人だった。

 そして、実物のアルハンブラ宮殿を見たときの感動は、予想を遥かに超えていた。

 ヨーロッパの地に築かれたアラブの燦爛たる世界は、今日も大きく輝いている。終末の宴として、アルハンブラ宮殿にアラブ人が華燭の炎を燃え上がらせた。失地を回復奪還しようとキリスト教徒によって、レコンキスタ(国土回復運動)の暴風がイベリアを席巻する。1481年キリスト教軍がグラナダ攻撃を開始し、11年半もの包囲の後、ついに1492年1月2日グラナダが陥落、アルハンブラ宮殿の開城となった。

23512_399年夏、念願のアルハンブラ宮殿見学

 見学が終わる頃、アルハンブラ宮殿は夕日の残照に包まれ、真っ赤に染まっていた。アラブ人がアルハンブラ宮殿を後にし、イベリアの地、ヨーロッパ大陸を離れるときの心情はどのようなものだったのだろうか。ふと有名な漢詩(楽遊原 李商隠)の一節を思い出す。

  向晩意不適
  駆車登古原
  夕陽無限好
  只是近黄昏

  夕暮れに向かうにつれて気分が優れず、
  馬車を駆って楽遊原の高台に登る。
  暮れて行く長安の街に夕陽は限りなく素晴らしいが、
  ただすぐ黄昏(たそがれ)と暗闇が迫ってくる。

23512_4アルハンブラ宮殿(Wikipedia写真)

 世には常がない。美しいものを引き止める術がない。だが、一瞬にして過ぎ去るものだからこそ、美しいのであって価値がある。そのときその瞬間を大切にし、思い出作りのできる人間はいかに幸せだろう。

 旅の感傷に浸かっていた私には、そのとき、ある種の黄昏がすでにそこまで迫っていたのだった。

<次回>

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。