私はこうして会社を辞めました(43)―旅立ちの時が来た

<前回>
(敬称略)

23497香港駐在中最後の旅、ロシアのモスクワ大学前

 99年、木津が香港に着任してから、私の負担が徐々に軽減した。彼は吸収が早く、英語も物凄いスピードで上達した。しばらくすると、一人で顧客回りも出来るようになった。一方では、マクロ経済の回復もあって、日系金融機関のリストラの嵐も静まる気配を見せ、99年夏あたりからは、ロイターの日系マーケットは基本的に回復した。

 そのおかげで、私は体調の回復を目指して休養を取ることも出来るようになった。さすが90年代前半のような大型周遊旅行の気力がなくなり、チェンマイの田舎やバリ島のウブドゥ、ギリシャのサントリーニ島などでの静養がメインとなった。

 仕事の方は、徐々に木津が実務を裁く場面が増える一方、私は香港の日系金融機関の上層部とのチャンネル拡張に専念するようになった。中でも、当時東京興業銀行(仮名)香港支店の青村副支店長(仮名)との親交が深い。彼は大のオペラファンとワイン愛好家であり、趣味が見事に一致していた。テノール大好きな彼は度々私を彼の自宅に招き、ワインを楽しみながらオペラ談義に花を咲かせた。氏は、あの有名なパバロッティよりも、アンドレア・ボチェッリを私に勧めた。

 ボチェッリは、6歳でピアノを始め音楽の道に進むものの、12歳の時にサッカーボールを頭に受け脳内出血を起こし失明する。障害を乗り越えた彼は、法学博士号を取得し、弁護士になった。それでも、歌手になる夢は捨てきれずに、彼は再度挑戦。その後、世界的なテノール歌手であるルチアーノ・パバロッティとイタリアを代表するロック・ポップス歌手のズッケロに見出され1994年にデビューした。その直後、サンレモ音楽祭新人部門で優勝し、ヨーロッパ中で大ヒットとなる。

 ボチェッリのテノール・ボイスは、パバロッティほど透き通ったものではなく、明るいなかでも常に翳りを感じさせる。それは、まさに彼の魅力で、多難な人生の試練に決して負けることなく、時折苦痛の喘ぎを漏らしては直ぐに力強く立ち直り、命の美しさを見せ付ける。

 「Con Te Partirò」、私がもっとも好きなボチェッリの一曲。後にタイトルと歌詞の一部は、英訳され、「Time To Say Goodbye」(「旅立ちの時が来た」)として、サラ・ブライトマンとのデュエットになった。

 香港、百万ドル夜景の上、空に寂しい月が輝くとき、私一人だけ真っ暗闇に包まれ、ボチェッリの「Con Te Partirò」がそっと流れてゆく。

23497_3「Con Te Partirò」が収録されるCD

  ゆりかごみたいにあなたに甘えた日々
  旅行鞄へと詰め込んで船に乗る
  光の消えた街
  見つめあうまなざしだけが饒舌(しゃべり)過ぎ
  言いかけた言葉を汽笛がさらう

  Time to say good bye
  誰も知らない
  異国であなたと暮らしたかった
  さよならの瞬間(とき)がきたら私は
  涙より哀しい笑顔見せる

  心のテープを時の鋏で切って
  あなたに背中向けても
  潮風に舞う髪
  焦がれるようにあなたを指さす

  Time to say good bye
  海に射す陽に
  祈りを捧げて空を見上げる
  さよならの船は岸を離れて
  記憶の波間を永久にさすらう

  さよならの瞬間(とき)が来たら私は
  涙より哀しい笑顔を見せる
  Time to say good bye

 曲の終盤にさしかかったとき、私は、すでに満面の涙。新たな旅立ち、愛する人との別れ、そして、人生の終止符はこの曲で打たれたい・・・

<次回>

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