私はこうして会社を辞めました(42)―木津さんとの出会い

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(敬称略)

2347098年秋、バリ島ウブドゥで療養中

 98年後半、私の体調が優れなかった。香港着任直後、すぐに大きな風邪を引いた。業務の重圧でとても休む余裕がなく、そのまま仕事を続けたが、ぜいぜいして息苦しい状態が好転せず、咳も数ヶ月に長引いた。最終的に、アレルギー性ぜん息、アレルギー性鼻炎と診断され、生涯完治することができないと言われた。専門家の話を聞くと、香港の空気が悪く、それに疲労で免疫力が低下し、風邪が長引き、最終的にアレルギー性の病気に転化する、という私に似たような患者がほかにも多数いるという。

 以来、10年以上経ったが、持病化したアレルギー症で呼吸器官全般が極端に弱くなった。粘膜が菌にやられやすい。疲労が溜まると直ぐに鼻や喉、気管支が炎症を起こす。2006年、またもや気管支がやられて高熱を出したと思ったら、肺炎にまで悪化したと診断され、2週間の治療でようやく回復した。

 98年末、私は、香港で木津英隆(本名、敬称略、彼のブログ「香港FA木津英隆のマネーは巡る」)に出会った。香港の日系法人企業マーケットの回復に伴い、健康上の理由もあり、私一人ではとてもカバーしきれなくなったため、現地採用で日本人1名増員の予算が下りた。業務内容は、IT関連業務を中心に担当する日系顧客営業の補佐だった。そのとき、木津は、インターネットで応募してきた。

 当時、彼は日本国内の石油会社に勤務しており、度々中東へ出張していた。面接は、彼のアブダビ出張の乗り継ぎを利用して香港で行った。

 面接一回目、異例の即決で採用を内定した。彼はいかにも技術屋的で内気そうだが、芯があって決断力に優れているという第一印象を受けた。海外での仕事は、能力や経験以前の問題として、まず自分自身が逞しく生き延びる力が求められる。木津はこれら条件を持ち合わせる人間だと私が確信した。それから、若くて独身で身軽だったのも採用決定のポイントだった。しかし、最近木津が書いたブログの回想録を読むと、そのとき、すでに結婚前提の女性と交際中だったことが始めて判明され、びっくりした(木津英隆ブログ・『新入社員時代の思い出』参照)。東京にいる彼女との遠距離恋愛という選択肢を選んだ彼は、最終的に愛を実らせることができず、別れの結末を迎えたのだった。

 人生には、色々な節目がある。その節目で流れが変わる。流れの変化で、次の節目も変わってくる。良い方向へ流れが変わったのか悪い方向に変わったのか、それはその人の価値観と人生観で判断するしかない。時が経てば、自分の歴史を振り返ってみると、一つの出会い、一人の人間、そのような一コマ一コマはみな感動に満ちたものだったことが分かる。

 行き着くところ、「一期一会」と「諸行無常」の真理を人間が悟るのである。

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