私はこうして会社を辞めました(56)―大企業の看板と立花商店

<前回>
(敬称略)

 「一杯、行きましょうか」

 悶々とした毎日を元気なく過ごしていると、田辺本部長から食事に誘われた。田辺本部長はなかなかの酒豪で、何回も一緒に飲んだことがある。その日も例によって酒が進むと、いよいよ話題が仕事の話になる。

 「立花君、気持ちはよく分かる。あなたが中国や香港で大変苦労したことも、部下を束ねて『立花商店』をやっていたこともよく知っている。それで素晴らしい業績を挙げたことも皆見ている。そういうことを言うのもなんですが、その『立花商店』の背後に、常にロイターという大きな看板が付いていましたね。それを忘れないでほしい。いま、『立花商店』から別の王国になった、それがなかなか馴染めない、苦しんでいるんでしょう。もし、それでも『立花商店』をやりたいんだったら、それはそれは、『立花商店』をやったら良いと思う。でも、今度は、ロイターというデカイ看板をはずしてやることになりますよ、しんどいですよ・・・」

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 田辺本部長が一生懸命に私を納得させようとした。彼の言葉に誘われたかのように、6年間の一幕一幕、それと、中国と香港のジャパニーズチームのメンバーの笑顔が一つ一つ目の前に浮かび上がった。

 試用期間にクビがギリギリ切られそうで崖っぷちで初契約を取った。白酒一本開けて腰を抜かしても大量受注にこぎつけた。工事担当のミスで私が顧客に怒鳴られて深夜に北京まで駆け付けた。台風と雨の中でビルの屋上によじ登り、人間伝書鳩になってのアンテナ直しもやった。ほぼ白紙状態の中国市場でダントツの95%シェアを取った。香港ではアジア金融危機の残局収拾もやり遂げた・・・

 これは、「立花商店」というのだろうか?大企業の看板を背負いながらの個人商店というのだろうか?大企業の看板さえ背負っていれば、個人商店がうまく行くのだろうか?大企業があっての個人商店か?それとも、個人商店で大企業の看板が成り立っているのだろうか?

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 瞬間に、色んな質問が交差する。そのとき、酒に酔っていた勢いもあってのか、私は妙に自信を持っていた。私がもし、中国に行かなかったら、ロイターは日系市場の打開もなかっただろうと考えていた。なぜなら、顧客の日系企業から、「立花さんがいるから、ロイターと契約したのだ」と言われたことが何度もあったからだ。

 しかし、後日、私のこの読みが甘かったことが実証された。理由は簡単だ。大企業の看板を背負って、大企業の名刺を差し出して、大企業の一員として営業をした場合、つまり、ロイターの立花だから初めて相手企業の担当者に話を聞いてもらえるわけだ。独立後、零細企業の立花として、同じようにしても、話さえ聞いてもらえないことがほとんどだった。営業の成果、つまり成約は、営業可能という前提にしている。営業しても話を聞いてもらえなければ、成果などは、夢のまた夢になってしまう。

 それに、私に致命傷がある。会社を辞めて、会社時代の取引先と引き続け取引をすれば、幾分個人の信頼が残っているだけに、やりやすいのかもしれないが、私の場合、まったく違う新規事業で、まったく違う顧客を相手にするから、まさに何もない真っ白の紙だった。大企業の看板は、やはり重みがあることを実感した。

 だから、そういう意味で田辺本部長が語る「大企業看板論」はまったくの正論である。当時の私は、酔った勢いに乗って豪語を言い放した。

 「田辺さん、私、人生にもう一度『立花商店』を作ってみたい。今回は、ロイターという大企業の看板をはずして・・・」

 翌朝、田辺本部長と古田部長の机上に、私の退職願が置かれていた。

<次回>

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