流氷紀行(4)~霧の摩周湖と晴れの摩周湖、幸運使い果たしたか

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 2月11日午前、タンチョウ観測を終え、一路と北上する。快晴のため、道路状況が基本的に良好。日陰には凍結でアイスバーンが出来ているところが多い。中に、路面に薄い氷の膜ができて単なる湿潤路面のように黒く見えるのに凍っているブラックアイスバーンもあったりして、車の運転は慎重に慎重を。

33561_2運転席からの雪道風景(摩周湖付近)

 国道240号、別名「まりも国道」はまずまずの快走だが、阿寒湖の手前で国道241号(阿寒横断道路)に右折すると、様子が一変した。上り坂で山間部を走っていると、雪道、アイスバーンの交互で、地元ナンバーの車もスピードを落としはじめた。時速40キロの走行を保ち、ハンドルをしっかり握る一方、減速は基本的にエンジンブレーキに頼る。初体験のスバル車(4WD)は、まずまずの走りを見せてくれた。満足。

 昼過ぎ、摩周湖第一展望台に到着。これより先は雪で通行止めになっている。

 摩周湖といえば、「霧の摩周湖」(作詞:水島哲、作曲:平尾昌晃)。1966年に布施明が悲壮な絶叫調で歌ったこの歌謡曲がヒットしたことで、摩周湖の知名度は一気に高まった。一方、「摩周湖=霧、神秘の湖」のイメージも定着したようだ。資料を調べると、作曲の平尾氏は結核により歌手の道を断念して療養中で、訪れたことのない摩周湖を想像でイメージしてこの曲を作り上げたという。彼は2003年にNHKラジオの放送で、後日訪れた際の摩周湖は「イメージ通りの湖だった」と語っているそうだ。

33561_3冬の摩周湖

 アーティストのイマジネーションには脱帽だ。あのオペラ「蝶々夫人」を創り上げたプッチーニも日本に来たことがないという。誠に不思議なものだ。私たちコンサルタントの業界では、「イマジネーション」は禁物で、むしろ「メカニズム」が重要視されている。

 ちなみに、私が「オペラ」を好む理由を披露しよう。私は、正真正銘の音痴であるからこそ、最高の美声を求めるのである。ただし、自分のではなく、他人のである。美声のアウトソーシングなのだ。

 「霧の摩周湖」のメカニズムを調べた。太平洋上を北上する暖かく湿った空気が北海道沿岸で急激に冷やされることで濃い霧が発生する。冷たい霧は外輪山を越えてカルデラの中にたまり、湖面を覆いつくすのである。

33561_4三度目の晴れ男

 霧が多く、晴れている摩周湖はめったに見えないことから、晴れの摩周湖に出会える人には、幸運が付くという。しかも、人生の幸運を使い切ってしまい、女性は婚期が遅れ、男性は出世を逃すとまで言われている。

 私は、今回で三度目の摩周湖訪問だが、三度とも快晴だった。これで幸運を使い果たしたのではないか。それにしても、ずいぶん、私はたくさんの幸運がついているものだ。私は、自分の人生には幸運がついているし、悔いはないと常に思っている。だから、いつ不幸が降臨しても、平常心で受け入れる用意が出来ているし、不平不満を言うつもりはない。それが私の幸福の源泉なのである・・・

 もしや、晴れの摩周湖よりも霧の摩周湖に巡り会えるチャンスが少ないのではないか。三度目の晴れの摩周湖を眺めて、私はふと思った。

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