「いま、自分がとても幸せだと思う人、手を挙げてください」
先日、ある企業の研修で、中国人従業員に幸福かどうかの問いを投げかけた。三分の一ほどの人が手を挙げた。
「立花先生ご自分は、幸せだと思いますか」。研修が終わると、ある受講生に聞かれた。
「もちろんです。私は、世界一幸せな人です」。私は考えもせず答えた。
「えっ、本当ですか」。大袈裟なことを言っているのではないかと疑いの目線だ。
「じゃ、私がどのくらい幸せか、教えてください」。私が質問する。
「それは、分かりません」
「そうでしょう。先に言ったように、幸せかどうか、どのくらい幸せかを決めるのが自分です。それから、自分を不幸にするのも自分です。自分次第ですからね」
「幸福は、外なる物事に左右されず、内なる心の力で作られる」。研修会のスライドの一枚がこうなっていた。
経済社会が成長すればするほど、人間の心が不幸に陥りやすい。モノを欲する人間の欲望が利用され、次から次へと新商品が開発されていく。手に入れたいモノが手に入らないと、不幸になる。そして、すでにモノを所有している他人を見て、妬く心でその不幸が増幅していく。これは、立花流でいうと物欲しさからくる「プラス不幸」である。これはどちらかというと、まだ健全な不幸だ。
もっと恐ろしいのが、一旦モノの豊かさを知ってしまった人間がいざ、その豊かさを喪失する恐怖に怯えるときの不幸、これも私の言葉にすると、「マイナス不幸」になる。
自分の直感では、いまの中国人は情熱的な「プラス不幸」が多く、それに対し、日本人は末路をたどるような「マイナス不幸」が多い。どちらも、外なる物事に左右されてしまっている不幸といえるだろう。
幸せを感じることは、心の鍛錬をなくしてありえない。私自身も人生二度ほど、全財産を失い、すっからかんになったことがある。それでも楽しい毎日を送っていた。貯金ゼロのときも、僅かな収入で旅をしていた。旅先で再起のヒントをも得ていた。
たとえ、人生に三度目の全財産喪失があっても、私は決して恐れない。明日から、私がリアカーを引っ張って上海の街で焼き芋を売れといわれても、喜んで売るし、そしてきっと大成功し、上海一、いや中国一の焼き芋売りになると思う。
失うことを恐れないときに、世界一の幸福を手に入れる。