「不要不急」の常識と非常識、論理なきプロパガンダの弊害

 311東日本大震災の直後に、江蘇省某市の日本人会会長A氏から当社に、クレームのメールが寄せられた。当社が通常通りに配信したセミナーの告知に対しての抗議だった。

 このような非常時期に、「商業活動の宣伝」をするのが非常識ではないかと。

 こんな時期だからこそ、商業活動を通常通りに行わなければならないのだ、と私はすぐに返信し、立場と経済原理を説明した。

 経済活動が停滞すれば、被災地ないし日本経済の復興がますます困難になるからだ。震災1か月後、ようやく新聞などのメディアが、消費が落ち込んで大変な事態になるぞと騒ぎ出した。時すでに遅し、実体経済への負の影響がじわじわと時間差攻撃で、現れた。

 「不要不急」の排除という宣伝はプロパガンダで、根本的に間違っている。まず、何が「不要不急」なのか、はっきりしていないのだ。

 そもそも、よく周りを見ると、いま我々が暮らしている経済社会の大部分が、「不要不急」である。「不要不急」は良い意味でいうと、「付加価値」である。iPhoneがなくても、飲み会がなくても、コンサートに行かなくても、車を買い替えなくても、家の内装を奇麗にしなくても、ブランド品のバッグを使わなくても、人間は死にはしない。このような「不要不急」を止めてみると、経済は間違いなく停滞する。

 現代の経済社会は、「不要不急」で固まっているのである。そもそも、「不要不急」のモノやサービスが排除されると、「不要不急」の従業員も不要になり、リストラされてもよくなる。

 地震が一次被害、津波が二次被災、原発が三次被害、そして、「不要不急」の排除が四次被害。日本は耐えられるのだろうか。

 「不要不急」やら「自粛」やら、常識のように見えても、非常識である。ただ、非常識を言い出すには勇気がいる。叩かれることを覚悟しなければならない。特にメディアと政治家、常識や大衆迎合なら誰でもできる。事実を並べて、論理的な議論を展開する、このよう土台作り、舞台作りが使命ではないだろうか。