マナー違反者に一喝、これで問題解決になるか?

 ブログ記事に対して読者同士が、マナーに関する議論を展開している。

 マナー違反者に一喝することが問題解決になるか、マナー環境の改善になるか。読者AさんとBさんが述べた観点は、それぞれの立脚点と目線があって、ある意味でどちらも正しいと思う。

 私のセミナーでも、参加者から「他の受講者がうるさいから、講師から注意してほしい」と言われたことがある。私の場合、言われなくても、マナー違反者がいることに気がつけば、基本的にその場で一喝する(どんな大口顧客だろうと関係なく)。あまりにも講演に集中すると、気がつかないことがしばしばある。そのときは、参加者のみなさんにマナー監督者になっていただきたい。場合によって、一喝していただければ、とても感謝するし、檀上から援護射撃を全開して、逆切れの標的を講師の私にシフトする。

 逆切れの可能性はあるのか、全く否定することはできない。その辺は、勇気を出して注意する人間は、自分の利益だけでなく、公益のために多少リスクを取る覚悟が必要だろう。

 一喝されなければ、迷惑行為を改めない人は、感性の問題だという指摘は全く正しい。ただし、この種の感性の必要性を感じない人だったら、お手上げだ。一喝されて、その場で改めても、また次は別の場で再犯する可能性が大だ。要は、その人は、次回からまずセミナーの講師が一喝する人間かどうかを見極めてから、迷惑行為をすることになるかもしれない。もちろん、一喝されて、やはり私はいけないことをしたなと反省し、いかなる場でも迷惑行為をやめる人だっているはずだ。そういう意味で、「一喝行為」の効果は、100%でもなければ、0%でもないことになる。少なくとも、「一喝行為」は、社会秩序の改善に少しでも貢献しているはずだ。

 「つまらない講義を聞かずに喋って何が悪い、興味を引く講義ができない講師が悪いのだ」という論理は存在する。それは間違っていない。ただ、一点だけ抜けている――しゃべる場所だ。教室外に出てしゃべったらいい。ある人にしゃべる権利があっても、他人の聞く権利を侵害してはならないのだ。法的に他人の権利・利益を侵害したら、不法行為になる。セミナー会場の私語はある意味で、他人の聞く権利、情報を得る利益を侵害している。まあ、度合が軽く、不法行為までいかなくとも、一種の不徳行為だ。講師の話がつまらないと思う人もいれば、面白いと思う人もいる。他人の権利、他人の利益を尊重するのが、マナーである。

 一喝するかどうかは、各人の価値観であるから、強要すべきではない。ただ、私の場合、おそらく刺されるまで、死ぬまで、一喝し続けるだろう。