● ジリ貧の原因
日本のジリ貧。その原因は何か?結論からいうと、製造業を海外に持っていったことがその根源だ。昭和時代の日本経済は輸出主導だった。それが旺盛な国内の設備投資と雇用創出を前提にしていた。
海外からの受注増 → 日本国内に工場の建設や生産能力の拡充 → 長期安定雇用 → 国内労働者の所得増 → 国内消費市場の拡大 → 需要が供給を牽引 → 外需に加えて内需増 → さらなる生産能力の拡充 → 上記の好循環。輸出主導型経済とはいえ、実は、フィジカルな生産活動によって支えられる内需がその原動力となっていたのである。「Made IN Japan」の「IN」というフィジカルな生産属地性が日本人を豊かにした。
プラザ合意後は、急激な円高になった。当初、日本人は大喜びした。もっていた円の価値が倍になり、海外へ行って買い漁った。金持ちになった日本人は、汗水たらして工場などで働きたくなくなった。円高の影響で製造業が海外移転したのは都合がよかった。肉体労働は外国人にやらせようと。日本人はお金を使い続けた。
そこで異変が生じた。製造業が海外へ行き、どんなに設備投資や雇用を増やしても、お金はすべて外国に落ちる。日本人はどんどん貧しくなるだけだ。国内消費に回せる十分なお金がなければ、国内消費市場が委縮する。需要が低迷すれば、過剰な供給が行き詰まり、過酷な価格競争に陥る。コスト削減に追われる企業は、労働者を酷使せざるを得なくなり、ブラック企業化する。
所得が減れば、消費が減る。消費が減れば、生産能力・雇用が過剰になる。雇用が過剰になれば、リストラをする。リストラをしなければ、1人あたりの給料を下げるしかない。雇用維持するために、ITをやめる。ITをやめれば、立ち遅れる。立ち遅れれば、他国にどんどん追い抜かれる。日本はこうして悪循環に陥る。
第三次産業の供給過剰は、需要と供給の関係からみたものだ。日本の第三次産業は、金融でもなければハイテクでもない。飲食や観光類のローテクで十分なお金を作り出せない。インバウンドは、国内需要の不足があってこその施策であり、形を変えたサービスの輸出でもある。外国人観光客が寿司を食べて「日本がすごい」と絶賛する動画を流しても、日本は豊かになれない。日本は内需主導型経済になっているのに、結局気が付いたら、輸出に頼らざるを得ない。
日本は輸出主導型経済を放棄した時点で、衰退の運命がもう決まったのだった。

● 弱民政策
「民弱国強、民強国弱。故有道之国、務在弱民」。商鞅法家思想・法治主義イデオロギーの遺著『商君書』は、「弱民政策」を唱える中国帝王学の名著であり、「国民弱化」の理論についてこう語っている――。
国家と国民は矛盾・対立した関係にある。国民が強ければ国家は弱くなり、国家を強くしたければ国民を弱くしなければならない。 強敵を打ち破り、世界を支配することのできる国家は、国民を従わせなければならない。国家を統治する原理はひとえに弱民政策にある。
「弱民」とは、国民に多くの権利を与えたりせず、民権(人民の政治に参与する権利)の弱化、つまり非民主主義や独裁専制を指している。不思議にこの論理を中米に照らしてみると、あたっている。中国は弱民政策によって国家が強くなる一方、米欧は民主主義、民権の過剰膨張によって国家が弱化されている。
民主主義が独裁専制に負けている原因は、そこにある。
● 全体主義と個人主義
私のフェイスブックの個人プロフィール欄に、「反全体主義者」と記されている。ある人に聞かれた。「立花さんは、反全体主義者と書いてあるが、反中国どころか、中国を讃えたりもする。自己矛盾ではないか」と。
「中国=独裁専制=全体主義」という図式に基づいての発言だ。結論から言おう、全体主義は、政治体制とは必ずしも関係があるわけではない。社会主義にも資本主義にも、独裁専制にも民主主義にも、全体主義だけは共通している。昨今よく言われる「ポリコレ」も、日本社会の「同調圧力」も、本質的に全体主義の範疇に入る。
全体主義と対置するのは、個人主義。しかし、一見個人の権利を主張するかのように見えても、その画一的な規定を押し付けるところで結局生まれるのは、思想の自由の剥奪であり、本質的に全体主義にほかならない。独自の論理的・批判的思考を持たず、教え込まれたこと、刷り込まれたことに脊髄反射し、大多数の「群」に追随するのが全体主義の症状だ。




