<雑論>中国人と華人 / 中国も民主主義国家 / 西側初のプーチン直接取材 / 政治家に対する評価 / インバウンドで日本は儲かる? / 「謙虚は美徳」もう古い?

● 中国人と華人

 私はマレーシアに住んでいる。マレーシア人口の25%が華人。彼たちとの会話から、正直に言って、中国即ち中華人民共和国に対する政治的な「祖国愛」をほぼ感じられない。また「中国人」と呼ばれるのも嫌っている。彼たちからすれば、「中国人」という定義は、あくまでも中華人民共和国国籍保有者のことであり、海外に住んでいる「華人」(外国籍保有者)は異なる概念だ。

 中国語に関しても、漢人の言語、華人の言語と、主体によっては大陸本土では「漢語」、海外華人は「華語」とそれぞれ異なる表現をもっている。言語そのものについては、表現や発音に若干の相違があっても、基本的に同一言語である。

 3000~4000年の中国史をみてもわかるように、1912年の中華民国成立までは、「中国」という国家は存在しておらず、「王朝」「朝廷」だった。故に、国家を愛する「愛国」という概念よりも、民族や血統に基づく共通の歴史や文化的ルーツ、アイデンティティを共有・連帯するところの「愛族」である。マレーシアの華人は、マレーシアという国家を愛しつつも、中華文化という基盤を共有している。「愛国」と「愛族」を使い分けている。

 習近平の「中華民族の偉大な復興」という思想は、「民族」にフォーカスしているだけに、よく練られているといえる。

● 中国も民主主義国家

 民主主義 vs 独裁専制。――米国・西側諸国が作り上げた「善悪」の「価値判断」に基づく二元論である。しかし、現実社会を見ると、白黒でなく、グラデーションという歴然たる「事実判断」である。

 中国の帝王学には、「民為邦本、本固邦寧」(尚書·五子之歌)という統治の基本原則が書かれている。「人民は国家の基盤であり、基盤が固まれば国家は安定する」という意味だ。ここの主語は、君主を指している。君主は人民をどう扱うべきか、その指針を示している。

 中国の皇帝は、「天子」といい、天命を受けて天下を治める者である。「民」が「主」ではなく、天子が天から選ばれた民の代表、「民」の「主」である。君民は主と従の関係である。決裁権は主に委ねられた以上、民には責任がなくなり、君主のほうに全責任がかかる。君主が明君であれば、讃えられるが、暗君となると、転覆され、王朝の交替になる。

 言い換えると、天子が天命に逆らって、暗君や暴君となり天下を治められなくなった時どうするかというと、民の投票で主を変えるのではなく、蜂起や暴動、クーデター、外敵による侵攻などの形で主を変えるのである。それが「替天行道」(出典:水滸伝、梁山泊の旗印)、誰かが「天に替わって道(正義)を行う」ということだ。

 「替天行道」の結末は、「改朝換代」、王朝が変わるということになる。「改朝換代」を回避するためにも、天子が天命を悟り、主らしく民のために「仁政」を施し、最善を尽くさなければならない。それが西側の民主主義に代わる牽制機能になっている。

 「水能載舟、亦能覆舟」という荀子の言葉がある。水は舟を運ぶこともできれば、また舟を転覆させることもできる。民を水に、君主を船に例え、その相互関係を説いている。

 中国の場合、14億の人民をまず食わせることが第一だ。米国・西側社会のようにやたらLGBTやら何やら人権を次から次へと持ち出したら、国はまとまらないし、持たない。人民の基本的な生存権が損なわれる。そうした意味で、強権は必要である。シンガポールのような都市国家であっても、強権的統治で世界最先端の国に築き上げた。

 統治者は、民を基盤とする民の主である。3000年という歴史の連続は無視できない。米欧・西側諸国は18世紀以降にでき、わずか300年弱の歴史しか持たない民主主義をあたかも唯一の最善であるかのように、世界の普遍的価値と位置づけるのは、傲慢としか言いようがない。

 歴史と真摯に向き合うべきだ。多様性を尊重し、謙虚に他者から学ぶというのは、民主主義の主旨ではないか。それにしても、米国・西側諸国はちっとも実践していないのではないか。中国もある種の民主主義国家である。投票祭りは設けられていないけれど。

 ほとんどの識者が言及していないのは、政治制度と経済制度の結合効果である。民主主義(政治)と資本主義(経済)の組み合わせを取っているほとんどの西側諸国では、民主が資本にコントロール、ハイジャックされ、結果的に資本による独裁が民主をないがしろにしている。

 民主主義が資本の独裁を抑止できない。それどころか、民主体制をカモフラージュにする支配層は、底辺からの搾取を強化する一方だ。この本質を見抜けない民衆は、来る日も来る日も底辺で苦しみながらも、馬鹿げた民主主義に酔い痴れている。言っておくが、一票で国家や社会を変えることはあり得ない。変えられた試しがない。

 そうした意味においても、中国モデルはそれなりの意義や価値があると思われる。

● 西側初のプーチン直接取材

 米著名ジャーナリスト、タッカー・カールソン氏が西側メディアとして初、モスクワ入りし、ロシアのプーチン大統領に直接インタビュー取材を行った。

 カールソン氏は次のように西側メディアを批判した。「彼ら(西側メディア)はゼレンスキーに多くのインタビューを行ったが、世界を変える戦争が始まって2年が経つが、ほとんどの米国人は情報不足に陥っている。ウクライナで何が起こっているのか全く分かっていない」。日本人にも同じことが言える。西側の一辺倒の情報、プロパガンダに乗せられ、ロシアのいわゆる「侵略戦争」を一方的に批判してきた。

 私は2時間にわたる取材動画のノーカット版を視聴した。プーチンが大変優秀な指導者であることを改めて思い知らされた。プーチンは大量の時間を割いて、ロシア史を示しながら、ウクライナという国家の性質を、歴史、文化、宗教、社会、経済の各方面から、丁寧に解説してくれた。さらに、西側入りを望むロシアを、米欧がいかに拒絶し、約束を破ってNATO東進を実施したかという経緯も説明した。

 カールソン氏によると、取材チームは移動費用をいかなる団体や政府からも受け取らず、すべて自費で支払ったとのこと。また、ホワイトハウスがこの取材を二度にわたって妨害しようとしたとも述べた。最初は3年前で、2度目はつい最近だという。ホワイトハウスはこれを否定しているが、だったら、カールソン氏は北朝鮮の金正恩への直接取材も行えばよい。

 ロシアのウクライナ侵攻は、正当化する必要もなく、正当である、と私は認識している。立場は、2年前と変わらない。

● 政治家に対する評価

 政治家・指導者をどう評価するか。2つの評価方法がある。1つは、評価する側の立ち位置や利害関係、イデオロギーを基準として評価する方法。もう1つは、当該国の国益を基準にしてその政治家・指導者を評価する方法。私は後者の評価方法を取っている。

 そうすると、習近平やプーチン、金正恩等いわゆる専制国家の指導者の評価がはるかに高い。これに対してバイデンや岸田といった自由・民主主義国家の指導者の所為が所属国の国益を逸脱していることが多いことがわかる。

● インバウンドで日本は儲かる?

 春節期間に、多くの中国人観光客が来日した。ただ、以前のように団体で爆買いする姿ではなく、大きな変化が起きているようだ。その変化ぶりを取り上げて報じるメディアが多いが、私が注目したのは、別のところだ。旅行の手配をはじめ、結局、インバウンドの売上げ・利益はほとんど、中国系業者の手に落ちている。オンライン決済の部分は、税金すら日本に落ちない。

 言い換えると、中国人観光客を受け入れるところ、そのサプライチェーンが中国系業者に押さえられているということだ。以前、台湾でも同じことを聞かされた。日本のいわゆる「観光立国」で潤うのは誰だろうか?日本は、観光業、サービス業で儲かるほど器用な国ではない。

● 「謙虚は美徳」もう古い?

 『「謙虚は美徳」もう古い 伊藤忠会長CEOが喝』(2024年2月10日付日本経済新聞Online)という記事では、「日本人の自信のなさが海外で勝てない要因の一つ」として挙げているが、私はそう思わない。日本社会の謙虚は、単なる「虚像」である。「日本は凄い」「クールジャパン」などから、謙虚の欠片も感じられない。

 「ビジネスの場で議論できない」のは、記事に指摘されている「日本人の自信のなさ」も一部あるが、主因は「論理的議論の力のなさ」にあるように思える。謙虚とは、力を持つ者の特権、余裕の現れである。「謙虚」の「虚」は、「実」によって裏打ちされている。「『謙虚は美徳』が古い」とは間違いだ。大方の日本人はまだ真の謙虚に辿り着いていない。

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