<雑論>起業騒ぎと自己啓発本 / 関口宏はなぜ消されたのか? / 女性は家庭優先だ / 投票に行かない / 米中の戦い / マレーシア人経営者を北海道へ連れていく

● 起業騒ぎと自己啓発本

 戦略とは何か?やることとやらないことを決めることで、まずやらないことから始まる。1日3箱もタバコを吸いながら、スポーツジムに通って運動しているからといっても、健康にはなれない。失敗の本質を追究せずに、成功の方法論だけ積み上げる日本である。以下フェイスブック投稿とコメントの一部を転載する――。

【S氏投稿】

 日本を元気に~とか思い、スタートアップの界隈にいてつくづく思うのは、山ほどの人たちが起業・起業と騒ぎ、支援し、インフラを作り、メンタリングを繰り返していても、実は何も変化していないのではないか?という疑問が尽きない。だって、GDPが爆伸びしてもいないし、給与が格段に上がった話もないし、世界に太刀打ちできる新成長産業が生まれたという話もない。

 1つは根本的発想が間違っているのではないか?そう思い出している。起業という1点に絞ってみると、山ほどある書籍の内容も、教育内容もみんな「How To」ばかりやっているか、さもなければ新技術だとか言っても所詮方法論を抜け出せないでいる。どうやって儲けるか、どこは儲けてはならないのか、これらを教え、事業家の精神を鍛えるような話はどこにもない。さらに言えば、今の社会のどこをスクラップして、何をビルドするのか、社会をどのように変えたいか、変えた世界をどうやって運用していくのか、そういう基本的なカギが欠落している。

【M氏コメント】

 世に出回るほとんどのいわゆる「自己啓発本」は、糞の役にも立たない。特に、ゴマンとある正解のうちのごく一部(しかも、限られた条件下におけるもの)しか提示されていないにも拘らず、さも唯一の正解であるかのような書き方をしているものは、間違いなく「情報弱者」(もっと言えば思考弱者)向けの単なる「商材」と言って良いだろう。

 主に失敗例(自分のもの、他人のもの、題材はどちらでも構わない)を中心に考察して、「何故失敗したのか」「どうすれば成功し得たのか」「条件が変わったらどうだったのか」といったことを「自分の頭で」考えることこそが唯一の成長の糧になると言っても過言ではない。

【立花コメント】

 世に出回るほとんどのいわゆる「自己啓発本」は、情報弱者・思考弱者向けの単なる「商材」にすぎない。まったくその通りだ。

 結局のところ、情報や出版は一産業である以上、利益を上げないと、生き残れない。まして、昨今ネット情報が氾濫し、ただでさえ本が売れない時代であるから、需要があっての供給で、業者はまず読者の「読みたい」商品を出さなければならない。

 「読みたい」ものとは何か。ほとんどの読者は、自分の意図する希望的観測に沿って、「こうあるべきだ」「ああなるべきだ」というようなものから織り成す世界像(虚像)を追い求めている。この虚像に近ければ近いほど、情報や書籍がかろうじて売れるという世界である。

 故に、ネットが発達すればするほど、情報が溢れれば溢れるほど、コンテンツの内容が劣化する。そうしたパラドックスである。私自身はもう本を出版しないことを決めた。読む本も新書どこらか、単行本もほとんど買わない。文庫本の哲学、政治、歴史系しか買わない。それで十分だ。読書の時間も減らし、思考の時間を増やしている。

 最後に、エピソードになるが、新居内装工事の際、ビジネス動画収録用の背景を作ってほしいとデザイナーに依頼したら、壁一面大きな本棚を提案された。知的なムードを醸成するには、それが一番かもしれない。ただ、知性は可視的「符号」でアピールするものではない。何より視聴者の知性は、発信者の「符号」で数段上がるわけでもない。

 私は蔵書しない主義である。読み終わった本は、図書館へ寄贈するか廃棄するかだ。大層立派な六法全書などはデータベースで検索したほうがはるかに効率がいい。

● 関口宏はなぜ消されたのか?

 3月31日、『サンデーモーニング』(TBS系)で司会を務める関口宏が、最後に同日の放送をもって「私は今日で消えます」と、番組降板を報告。理由は、「ここ数年は関口さんの意見が物議を生みニュースになったりと、偏向コメントが多すぎて、長くやっていると色々な弊害が出てくるから、潮時だ」と。

 偏向コメントとは、聴衆の聞きたくないコメントのこと。マーケティング学では、需要にマッチしない供給はアウト。関口の降板は正しい決定だ。社会学的には、多様な意見を容認できない、同調社会のエスカレートを示唆する事象である。資本主義社会では、資本(マーケティング次元)が社会より優先する。

 以前、私の執筆した原稿が編集局から却下されたことは何回もあった。「読者ニーズ」とのミスマッチが理由だった。メディアは、資本がコントロールしている以上、一商業機関にすぎない。「私は消えます」という関口氏の心境はよく理解できる。

● 女性は家庭優先だ

 アイルランドで3月8日に実施された憲法改正の国民投票で、「女性は家庭を優先すべきだ」という条文の維持が決まった。この条文を削除する政府の改正案が反対多数で否決された。自然の摂理、家庭という基本ユニットの維持という意味で、アイルランド国民が正しい決断を下した。

 家事について、ある女性のSNS投稿にこう書いてある。「家事をやるなら、妻でなく、メイドで十分」。この言説は、本質の差を見落としている。同じ家事でも、メイドはジョブ型、妻はメンバーシップ型。我が家では、住み込みのメイドを10年以上雇っている。にも関わらず、妻が家事を続けている。その差は、私にはよく分かっている。世の中、全てが合理性だけで片付けられるものではない。

 たまたま外の仕事でキャリアパスに乗ったほんの一部少数の女性の声だけが大きくなっている。「サイレント・マジョリティ」たる声なき大多数の女性は、家事に献身的になればなるほど、肩身が狭く感じる。そんな歪んだ社会になっている。適性ある女性個体の社会進出と女性全体的な属家性や母性とは、対立しない。前者が自己誇示して後者を否定するのは、おかしい。

 社会進出も、家庭と母性も、女性の異なる生き方。なぜ、前者が唯一で、後者は否定されるのか?民主主義は多様性というが、全くの嘘だ。だから、私が繰り返してきた。民主主義は、独裁専制の一種である。独裁専制は、民主主義との共存を認めている。しかし、民主主義は、独裁専制を排除する。民主は必ず独裁に勝つというが、なぜ、そこまで自信が持てないのか?

 民主主義下では、いわゆる個人(個体)の権利を強調しながら、家族を解体してきた。家族は、社会の最小かつ最強の基本ユニットである。このユニットを破壊し、民主主義を見せかけた独裁を社会の隅々まで浸透させるのが、今の米国率いる世界である。

 さらに、女性の権利を一例として経済学的に考察してみたい。

 男性と同じ職場、同じポスト、同じ給料。しかし女性にあって男性にない権利(産休など)もあり、それらを上乗せすると、女性の権利総量が男性を超えることもしばしば。労働者の権利は、企業にとってコストである。コストが上がれば、その分商品価格に転嫁する。しかし競争が激しく値上げはできない。すると、その分企業は従業員を酷使し、ブラック企業になったりもする。では、企業は利益を削ればいいかと言うと、株主の権利が侵害され、資本主義の基盤を揺るがしかねない。

 この通り、権利という権利には、全て義務と犠牲が付きまとう。民主主義の為政者は誰もが耳障りの良い「権利」をばかり唱え、「義務」には絶対に触れようとしない。だから、民主主義自体が持続可能性を持たない。しかし、独裁専制は一定の条件を満たせば、持続可能である。独裁制はすでに人類史上何千年も続いてきたのではないか。民主主義より優れたところがたくさんあるからだ。

 だが、このような社会学的な研究は、民主主義下ではポリコレに反し、ご法度である。それが民主主義の自信のなさと脆弱性の表れだ。

 今の社会では、指定されたいわゆる「正論」「善」でないものは全て否定される。多様化などはスローガンだけ、本当の多様化はあった試しがない。メディアとか執筆業とか学者は、「本流」から外れたら仕事が奪われる。メディアも学界も、「資本」の手先になっている、思考の自由も、言論の自由も、ない。

● 投票に行かない

 政治に興味がないから、投票に行かない。政治に興味があるから、投票に行かない。肉と魚の差が分からないから選べないのと、肉も魚も腐っていることが分かっているから選べないのとの違いだ。

● 米中の戦い

 日本とソ連は、歴史上アメリカに挑戦した、たった2つの国だ。どちらも負けたが、日本はあっさりと米国の飼い犬に成り下がった。一方、プーチン率いるロシアは、再起を図ろうとしている。今や、中国が過去の日本に取って代わって米国と戦っている。

 地球儀を見れば一目瞭然。中国がユーラシア大陸と西・南太平洋を影響下に収めた場合、米国に残されるのは、カナダとメキシコだけ。人類の文明史を見れば、これも一目瞭然。文明発祥の半分の地球と新大陸の半分の地球、その価値の差が歴然としている。だから、米国は中国を勝たせるわけにはいかないのだ。あらゆる手を使ってだ。

 でも、中国は勝つだろう。日本は今度中国の飼い犬にならないためにも、今のうちに手を打ったほうがいい。

● マレーシア人経営者を北海道へ連れていく

 私がマレーシア人経営者たちを、夏に北海道旅行に連れていくと書いたら、いろいろ「お勧め」が寄せられてきた。本当にありがとうございます。ただ、せっかくの好意ではあるが、あえて贅沢にいわせてもらうと、「連れてくるお客さんは、どんな人か」を聞いたうえで、お勧めを提示してくる方がいなかったのが残念。

 「文化の発信」、日本人は並々ならぬ熱意をもって取り組んでいる。ただ「発信」する前に、「受信」状況にもっともっと関心をもってほしい。外国人には、日本人の「阿吽の呼吸」が通じないのだ。彼たちはどんな人種か、職業や収入、価値観や美学、日本に対して期待するもの、おふくろの味、旅行の目的と本音ベースの予算、コスパに対する期待、などなどすべて把握したうえで、旅程を設計しなければならない。

 日本人には、このような配慮が欠けている。「受信」状況を意識し、それにマッチした「発信」がうまくできれば、日本のインバウンドやら輸出業やら、もっともっと儲かるだろう。ご興味のある企業は、教えますよ。

タグ: