偏向報道は当たり前、ジャーナリストや論客の正体とは?

 私はここ2年、自分の立ち位置を大きく変えた。

 視座を縦方向維持しつつ、横方向のいろいろなスポットに置いてみた。嫌いな人でも、その人の立ち位置に立って、その人にとっての正しいこととは何かを考えてきた。

 一般のメディア、ジャーナリストや論客は、客商売だから、特定の読者や視聴者層の「需要」に合わせて情報を「供給」する。「需要」とは、その人の立ち位置、価値観、イデオロギー、利害関係に基づく、読みたい、見たい内容、そうあってほしい願望である。

 私から見れば、世には偏向しない情報は存在しない。聖書やコーランでさえ、解釈が分かれるのだから。一つひとつの情報は、需要側に合わせて立ち位置が設定されている。尚且つ需要(視聴率やPV、販売部数等)を増やすためにマーケティング活動も行っている。情報は商材であり、資本であるからだ。

 情報捏造は、低レベルな話で、プロは基本的にやらない。よく使うのは、①意図的な情報選択、②正義・正論(価値、ポリコレ)で裏づける、③修辞学の技術を施す、という3つの手法である。

 ここまでいうと、あたかも情報プロデューサーであるジャーナリストや論客が悪であるかのように見えてしまうが、違う。彼たちの多くは職業的標準化によって、無自覚に一連の作業をこなしているだけで、責められるべきではない。

 情報はツールに過ぎない。不偏不党を求めて情報を神聖化する必要はない。限られた人生をいかに幸福化するのが本旨だ。自分の不幸を特定の情報によって、他責にする(責任転嫁による自己正当化)のはわれわれ人間の本能だ。情報は諸刃の剣、麻薬にもなり得る。

 真・善・美。――情報からは、「真」という「事実認識」の追求と抽出にとどめ、「善」「美」の「価値判断」は自分の中で行うのだ。

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