階級社会の真実(15)~自然の摂理、そして個の下層脱出を目指せ

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 99%の人が下層を脱出することができない。3つ目の理由を、市場の構造・メカニズム、自然の摂理から解明していこう。

● 大衆というグループの真相

 「階級」という概念を忌避する大方の日本人は、真相から逃げようとしているからだ。一方、この大衆は日々愚痴をこぼし、政治や社会に対する不満や怨恨を顕にし、しかも同調し合い、傷の舐め合いに熱中する。

 大衆が求めているのは、真相や真理、真正の価値ではなく、自分の情緒が理解されること、寄り添われること、慰められること、そして虚構でもいいから一縷の希望を見せてくれることである。政治家が大衆の声に耳を傾けるだけで、実際に何もアクションを取らないのも、この原理に基づいている。

 そして大衆を説得するには、「理」ではなく、少しばかりの「利」である。真相と価値を提供する者は、大衆に吐き捨てられる一方、虚像と小さな利益を提供する者は、大衆の主人になる。美辞麗句と小さな補助金をセットにする日本の政治家は、正確に実践している。

 上層階級は、下層階級の心理と行動をよく理解し、そこでうまく彼らを制御し、彼らに対して消費搾取労働搾取という二重搾取を続けてきた。

● 帝王学・哲学・宗教

 前述したように、99%の下層階級は、真相・真理を拒絶し、彼らが欲する世界、美しい虚像を求め続ける。これに対して、1%の上層階級にとっては、残酷な真相をいかに美しい虚像に飾り立てるかが永遠の課題であり、彼らは絶えずこの課題に取り組んできた。そこから蓄積されたノウハウは、統治・支配するための帝王学の一部を構成する。

 帝王学は、基本的に大衆世界に流出することはない。いや、仮に流出しても大衆はそももそ、これに興味すら示さない。なぜなら、帝王学は、善悪という倫理的「価値判断」をすることなく、ただひたすら冷酷な「事実判断」に徹し、大衆・下層階級のアレルギーを引き起こすからだ。

 哲学や宗教もまた然り。ソクラテスが処刑された理由は、次の通りだった。「支配者公認の神々を認めることなく、それとは異なる新たな神を導入し、若者たちを堕落させるという不正を犯している」。哲学とは、人それぞれの中に宿る神との対話である。いざそれに成功した場合、信仰の外注である宗教が不要になる。それによって宗教産業の「売上げ」が目減りし、洗脳も効かなくなるから、支配者・上層階級は困るわけだ。

 どんな政治体制でも、大衆が哲学することだけはさせたくない。ニーチェの宗教論もそこに起源する。宗教は、哲学を利用している一方、人々と哲学の直接アクセスを遮断する機能を持ち、相剋関係にある。だが、実は支配者階級の心配は余計だった。ソクラテス死後2400年の歴史が、大衆・下層階級は、哲学に興味を示さないことを証明してくれたのだった。

 「天機洩らすべからず」と、真相・真理は、明らかにされると、社会秩序が乱れてしまう。実は、そうした懸念は皆無である。99%の者は、真相・真理に何ら興味もないし、求めようともしない。たとえ真相・真理が彼らの目と鼻の先にあったとしても、彼らは見て見ぬふりをし、これらを拒絶する。大衆は虚像に酔い痴れ、此岸から彼岸へ、そして彼岸から此岸へと輪廻していく、搾取されていく運命なのだ。

● 支配と被支配は自然の摂理

 上層階級である政治家は、制度で大衆を支配する。上流社会である企業家は、商品で大衆を満足させる。上流社会である宗教家は、知恵で大衆を感化させる。上流社会の芸術家は、作品で大衆を陶冶する。

 ある女性を騙したいのなら、一生彼女を騙せという。一生騙せたら、騙すうちには入らない。まして彼女が自ら騙されることを望んでいたのだから、騙すことは立派な善行となる。下層がみんな上層に行ったら、上層は上層でなくなるし、下層も下層でなくなる。99%の下層と1%の上層という構図は、自然の摂理に基づく。

 だが、「個」としての下層脱出は、否定されていない。世界は虚像と嘘に満ちている。運命を変え、下層を脱出するには、虚像を見破り、本質を洞察する、つまり哲学する、それ以外に方法はない。これは大きな勇気と知恵が必要だ。現象本質が相反することがしばしばあるからだ。その分別力を身につけるための鍛錬は、真相・真理を受け入れることだ。

● ルサンチマンを断ち切る

 この15回連載シリーズは、下層階級から脱出した1人である私の実体験談に基づくだけに、血生臭さが充満している。30代後半までドロドロな下層階級だった私自身がいかに醜かったか。上層階級を憎み、社会の不公平を憎み、ルサンチマンまみれだった。

 「不平等が社会の共通の法であるとき、最大の不平等も人の目に入らない。すべてがほぼ平準化するとき、最小の不平等に人は傷つく。平等が大きくなればなるほど、常に、平等の欲求が一層飽くことなき欲求になるのはこのためである」(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』)。現代日本社会の写実でもある。みんなが一緒ではない。上層を目指す日本人と下層にとどまり、底辺に堕ちる日本人が分かれる。善悪ではなく、現実である。

 ビル・ゲイツが言う、「人生は公平ではない。そのことに慣れよう」。その一言に尽きる。慣れようではないか。そして、社会を改造する力を持たない者は、自己改造に取り組もうではないか。

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