「価格競争」よりも「価値競争」、成熟社会のあるべき姿

 先日、当社の顧客であるA社の人事部責任者を辞めて、B社に転職して同じ人事部長を務めるCさんから当社に連絡が入る。

 「新就職先、B社の顧問弁護士のパフォーマンスがあまり良くなく、いつもよくしてくれて、使い慣れたエリス・コンサルティングと契約したい。ただし、今の顧問弁護士や他のコンサル会社と合い見積もりを取る必要があるために、取引条件として年間6時間の相談時間を12時間に増やしてほしい。形だけでいい、実際は6時間を超える相談はしない」

 応じればすぐにでも顧問契約が取れそうだが、原理原則を曲げることになるので、きっぱりと断る。私からCさんに以下のメール(抜粋)を送った。

 「このたびご転職後もなお、新会社に弊社をご推薦いただき、誠にありがたく心から御礼申し上げます。貴社向けに顧問契約では『年間相談時間12時間』等の特別待遇を付与することは出来かねます。たとえ、実質6時間しか使わなくとも、契約は正式の法律文書である以上、すべてのお客様に同一条件を適用し、公平公正を図るのが弊社の原理原則であって、変更することはできません」

 「他社との合い見積もり比較に当たって、『形だけでも12時間にする』というお心遣いには大変感謝しますが、これで原理原則を変えることはできません。これは、A社時代、私の研修講義中に何回も繰り返し呼びかけていたことで、講師の私が自身の教え、信条を曲げるわけにはまいりません」

 「合い見積りでは、弊社サービスの『価値』を評価、比較していただきたいのです。単なる『12時間』とか『6時間』とかではなく、1時間あたりの中身という『価値』がお客様にとって、もっとも重要ではないかと思います。単純にいうと、『12時間のかかるところを、6時間で完遂したこと」は、逆に顧客企業の時間コストの節減につながり、多大な貢献になるはずです。弊社では、12時間の仕事を6時間で完遂できるかどうか、評価していただくのが、Cさん、そして新会社B社のトップマネジメントではないかと思います」

 世の中、断じてあってはならないことだが、いまは日本国内でも当たり前のように行われている。それは、「価格破壊」である。

 「価格競争」よりも、「価値競争」。これこそ、成熟した社会のあるべき姿だと思う。「安い」「高い」とは、金額額面のことではなく、商品・サービスのバリュー(価値)とその売値(価格)との比較で得られる結論である。値段(価格)交渉は簡単だ。しかし、価値を見極めることは難しい。消費者が怠惰になっていると、いよいよ「値段交渉」の泥沼に陥る。すると、いつまでも良い商品やサービスが成長しない。価格の比較段階で落とされてしまうからだ。

 私どもの会社に対して、「すみませんが、エリス・コンサルティングのサービスは、これだけの価値がない」と言ってくれれば、とても有り難く受け止めたい。「すみませんが、もうちょっと安くしてください」と言われるよりも、はるかに私は嬉しいのである。価値を認めてもらえないことは、自分たちの反省と新たな進化のスタートにもなるからだ。