日本企業組織の持病、太平洋戦争の戦史に学ぶもの

 気がついたら最近のブログでは、仕事の話がめっきり減った。意識的か無意識的か、仕事に触れない理由を考えてみたが、面白い仕事が減ったのがその主因の一つではないかと思う。いや、「減った」というのは私の主観的印象なのかもしれない。

 人間には欲がある。仕事があると、良い仕事をしたくなる。良い仕事があれば、さらに良い仕事がほしくなる。私にとっての良い仕事とは何か。コンサル先の顧客企業に成功していただくことだ。そのために、あらゆる情報、知恵そしてリソースを集結し、議論を重ね、最善と思われる問題解決案を提示する。

 私の仕事は、むしろここまでである。私が提示した意見や解決案を取り入れるかどうかは、顧客企業の意思決定にかかっている。その解決案とは、顧客企業が期待していたものもあれば、そうではないものもある。顧客が期待していない解決案は、顧客にとって苦渋な選択を強いられることもある。そこで、採用してもらえるかどうかは、顧客企業次第だ。なかに歯をくいしばって強靭な精神力と意志力で自ら難選択を受け入れ困難を見事に乗り越える経営者もいれば、逆に適当な理屈を付けて逃げ腰の経営者もいる。

 逃げ腰は一概に当事者の問題ではない。日本本社やその人の上司に絡んでいる場面も多々ある。「私は一介のサラリーマンに過ぎない」。――某社の総経理の弁はいかに無力、蒼白に見えるのだろう。

 議論をしない。論理的(ロジカル)な議論をしない。議論の場から逃げる。議論の場すら設けられていない、設けようともしない。ロゴス(論理的、理性的)ではなく、多くの日本企業の組織は情緒的であって、人的ネットワークに偏重している。

 社内の経験知あるいは上層部の既定方針に疑問を投げかけられるかというと、その勇気をもつ人はごくごくわずかしかいないだろう。その意味で議論を回避する傾向がある。なぜなら、経験知や既定方針が否定される議論の結果を恐れているからだ。

 最近、私は太平洋戦争の戦史を若干勉強している。といっても、狭域的に戦中日本軍の組織論的問題に限ってのスターディ―である。

 短期決戦の志向と「空気」の支配がかなり強く、論理ではなくその場の空気が議論を決めてしまう。経験知的で狭くて進化のない戦略選択、アンバランスな戦闘技術体系、人的ネットワーク偏重の組織構造、属人的な組織の統合、経験による学習を軽視した組織など構造的な問題が鮮明に浮上している。そして、精神論的なアプローチが広く取られたのも致命傷の一つであった。

 ある意味で、真珠湾奇襲の成功が日本軍の失敗の始まりだと言っても過言ではない。真珠湾攻撃の成功自身も偶然的な幸運要素が多く含まれるが、この歪んだ経験知が時間軸をたどって教条的に援用されている一方、米軍はしっかりと失敗から学習していることを日本軍は無視した。

 今日の日本企業に照らして、様々な失敗で過去の日本軍に通じるものが多く見受けられる。戦略決定、コンセンサスビルディング、意思疎通、危機処理など各フェーズで問題が露呈し、特に学習機能や客観的事実に基づく論理的議論が欠如しており、軌道修正が極めて鈍く、あるいは機能停止している。硬直化した組織はどんどん老化・衰退が進む。

 このような話をすると、不快に思わる節も多く、場合によって顧客を失うこともある。それでも私は言い続けるつもりだ。これは私の仕事なのだ。無節操な迎合は、コンサルタントの職務放棄である。もちろん、私は神様ではない。これはちょっと違うじゃないかというときだってある。それが判明されれば、私は速やかに軌道修正をする。反省も謝罪もする。間違いを発見するためにも、問題所在を突き止めるにも、議論が必要だ。それだけ言い続ける。

 このような、私が描いた理想的なコンサルタントと顧客の関係だが、実現している場面もあればそうでない場面もある。いわゆる「面白い仕事」であるか否かの主観的な判断となる。現実的に、仕事の総量がここ数年劇的に増えるなか、「面白い仕事」は絶対数が増えても、相対的ウエイトが低下している。

 このため、「面白くない仕事」をきっぱりと断る場面も出てくる。当初はスタッフも戸惑ったのだが、徐々に慣れてきて、良くも悪くもオーナー企業、しかも零細企業の特権なのである。