<雑論>格言への懐疑と「許す」ことの自己欺瞞

● 格言への懐疑と「許す」ことの自己欺瞞

 「弱い人は復讐する。強い人は許す。賢い人は無視する」

 ――一見すると普遍的な真理があるように見える。しかし、この種の格言は、文脈や個々の状況を無視している点で、盲信すべきではない。少なくとも鵜呑みにしてはならない。人生は単純な公式で解けるほど単調ではなく、現実の複雑性を踏まえた思考が必要である。

 トランプ元大統領を例に挙げると、彼は相手を許すことなく、復讐に執念を燃やした。これが彼の政治的再起の原動力となったのは否定できない。彼を弱い人間と見なすことはできないだろう。むしろ、復讐を遂行する力と意志を持つ人物と評するべきである。この点において、格言は現実の一端を反映していない。

 特に日本人の文化において、「許す」や「無視する」といった行為は、時として自己防衛自己欺瞞の形をとることがある。許す力や無視する知恵を持つことが賢明である場合もあるが、それが「力の不足」を補うための言い訳に過ぎない場合も多い。すなわち、復讐する力を持たずに「許す」や「無視する」を選択しているならば、それは主体的な選択ではなく、状況に流される消極的な態度に過ぎない

 さらに、許すべきでない悪が存在する。許しや無視が、社会や他人に危害を及ぼす悪行や不正を助長するならば、それは結果的に許した側にも責任が及ぶ。たとえば、社会的な不正や犯罪行為に対して、毅然とした態度を取らずに「許す」という行為は、悪の連鎖を断ち切る機会を逸することにつながる。このようなケースでは、許すことは美徳ではなく、むしろ怠慢である。

 復讐が必ずしも弱さを示すわけではない。むしろ、復讐を遂行するには行動力、戦略、そして継続的な精神力が必要である。一方で、許すことにも相応の精神的強さが求められる。それが、感情に流されることなく、相手の悪意に冷静に対処する形であればである。しかし、許しが単なる「降伏」や「諦め」の表現であれば、それは強さの証明にはならない。

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