鄧小平の「姓社姓資」論に学ぶ実利主義の柔軟性

 皮肉なことに、社会主義国家の指導者であった鄧小平は、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)を打破した先駆者として、偉大な足跡を残した。

 鄧小平が推進した中国の改革開放政策における「姓社姓資」(社会主義か資本主義か)論は、イデオロギーの硬直化を打破し、ゼロベースでの思考によって実利主義を追求した好例である。

 この論は、社会主義と資本主義という対立的な構図を相対化し、中国にとって最も利益をもたらす選択を模索する姿勢を反映している。鄧小平は「黒猫でも白猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」という言葉で、成果を重視する実用主義の哲学を端的に表現した。これにより、中国はイデオロギーの枠組みに縛られることなく、経済発展と国民生活の向上という具体的目標を達成したのである。

 一方で、現在の民主主義国家では、民主主義と独裁権威主義という二項対立の構図がイデオロギー的に固定化され、民主主義の絶対的正当性がポリコレの形で擁護されている。この構図の中では、民主主義は常に「善」とされ、独裁や権威主義は必ず「悪」とみなされる。しかし、この二元論的思考は、現実の複雑な課題に対応する上で非合理的である。

 例えば、緊急性の高い問題に直面した際には、独裁や権威主義体制が持つ迅速な意思決定能力が有用である場合もある。にもかかわらず、民主主義国家では、長期的な視野を欠いたポピュリズムや政党間の争いが政策の遅延や非効率性を招き、課題解決を妨げることが多い。

 鄧小平の「姓社姓資」論が示したように、重要なのはイデオロギーに忠実であることではなく、現実に即した成果を生み出すことである。民主主義国家もこの柔軟な発想を学ぶべきである。鄧小平の実利主義に学べば、「民主主義か独裁か」という単純な二項対立を超え、より実際的で効果的な政治モデルを模索する道が開けるだろう。

 しかし、残念ながら、西側の民主主義諸国にはこのような学ぶ姿勢が見られていない。

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