人間の本質と政治の構造~確証バイアス、符号化、利益の本質

● 思考力のない者は、符号に飛びつく

 思考力のない者は、符号に飛びつく。彼らにとって重要なのは「何を考えるか」ではなく、「どちらの陣営に属するか」である。符号の下で集結し、同調圧力と共鳴によって自己の正当性を確認する。このプロセスは、一種のガス抜きであり、承認欲求を満たす手段でもある。

 この構造は左右の政治思想に共通して見られる。左派が「差別反対」「多様性」「ジェンダー平等」といったスローガンを振りかざし、異論を封じるのと、右派が「愛国」「反グローバリズム」「伝統の復活」といった符号で結束するのは、根底では同じ現象である。彼らはそれぞれ、自らの価値観を「絶対的な正義」とみなし、異なる意見を持つ者を攻撃する。この構造こそが、社会の分断を生み出し、実質的な思考停止をもたらしている。そして、その社会の分断こそが、支配者が望んでいる現象なのである。

● 政治の符号化と日本の右派・左派の実態

 日本の政治においても、この符号化は顕著である。たとえば、石破茂氏は安倍晋三氏よりも遥かに保守右派である。明言はしていないが、「Japan First」的な姿勢はトランプに似ており、国益の衝突を考えれば、当然トランプは石破に良い顔をしない。

 安倍晋三氏について、筆者はかねてより「リベラル」だと主張してきた。安倍氏自身も「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいえば」と発言している(朝日新聞2017年12月26日朝刊)。では、なぜ安倍氏が保守右派の象徴と見なされるのか。それは彼が符号を巧みに操り、演技に長けていたことと、大衆が符号に惑わされる頓馬だからである。

 安倍氏の支持者たちを見れば明らかである。彼らは「Who(誰が言ったか)」にこだわり、国益という「What(何を成すべきか)」について語ることができない。右派も左派も、理念やイデオロギーを掲げるが、その根底にはただ一つ、「経済的利益」しか存在しない。

● 政治と経済的利益—理念は幻想である

 LGBTQ専用トイレや更衣室の設置に対し、LGBTQ特別課税を導入してよいかと問えば、左派のほぼ全員がNOと答えるだろう。一方、中国サプライチェーンを切れば物価が2~3割上昇するとして、それでも「反中」の証として断行するかと問えば、右派のほぼ全員がNOと答えるだろう。

 人間とはそういう動物である。政治的理念もイデオロギーも、すべて嘘であり、最も正直なのは財布の紐と下半身である。では、イスラム原理主義者はどう説明するか。自爆してでも信仰を貫く彼らは、一見すると経済的利益とは無縁に見える。だが、彼らはコーランに基づき、ジハードで死ねば天国で超裕福な暮らしができると信じている。それだけでなく、72人の処女を妻として迎えることができるという教義もある。すなわち、現世と来世の両方での利益が保証されているのだ。

 この世も、あの世も、右も、左も、結局すべてが経済的利益と下半身によって動かされている。

● 慈善もまた利益である

 この利益至上の論理に対し、反論は必ず出る。「では、慈善寄附も利益なのか?」と。しかし、その答えはYESである。

 第一に、大富豪が設立する慈善基金の多くは、節税対策や政治資金化が目的である。第二に、社会的名誉と地位の向上を狙った行動でもある。第三に、純粋な善意で行われた寄附であっても、寄付者の心の安寧という「私益」が絡んでいる。

 唯物論と唯心論は対極ではない。身が満たされることも、心が満たされることも、すべてが利益であり、私利私欲である。親が子のために献身する場面でさえ、子が自分の分身として生き延びるという私利が絡んでいる。これは筆者がビジネススクール時代に学んだ行動心理学、社会心理学の教授の解説でもある。したがって、「無私の愛」は存在しない。それは単なる人類の自己美化にすぎない。

● 真善美の本質と現実

「真・善・美」のうち、客観的なのは「真」のみであり、「善」と「美」は主観である。筆者は「真」を至上のものとして求め、たとえその「真」が「悪」であっても、「醜」であっても、構わない。なぜなら、筆者にとって「真を求めること」こそが価値的な「善」であり、美学的な「美」だからである。

 多くの日本人は主観的に中国を「非善(悪)」「非美(醜)」と捉えている。しかし、その一方で客観的な「真」からは逃げている。その「真」とは、中国が「強」になり、日本は「弱」になったという事実である。そして、「強」が最強になれば、「悪」が「善」となり、「醜」が「美」になる。日本にとってかつてのアメリカがそうであったように。

● 確証バイアスと群衆心理—人間の自己洗脳

 政府やメディアの「洗脳」を批判する人は多い。しかし、実際には人間そのものが「洗脳されたい」という素質を持っている。しかも、大半の人は日々「自己洗脳」している。その素質こそが「確証バイアス」である。人間は見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞く。自分が「こうあるべき」と信じる情報を選び、反証となるデータを本能的に排除する。

 さらに「群衆心理」が加わることで、大衆の「洗脳」が成就する。フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンによれば、群衆は事実よりも暗示と心象に動かされる。そして、群衆を操る手段は「断言・反覆・感染」である。この理論を最も巧みに実践したのがヒトラーである。今日においても、この手法は政治体制を問わず、支配者の統治手段として活用され続けている。

 SNSを見渡せば、そのような群衆が大量に存在することがわかる。そして、彼らは思考を止めたまま、今日もまた新たな「符号」に飛びつくのである。

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