● 王道と覇道
日本人どうする?
米国: メキシコ湾をアメリカ湾に改名する。
中国: だったら日本海を東海に改名する。
米国: グリーンランドはアメリカ領だ。
中国: だったら琉球は中国領だ。
米国: カナダはアメリカの51番目の州になる。
中国: だったら日本は中国の32番目の省だ。
幸い、中国は言い出していない。どっちが王道どっちが覇道?
日本: ちょっとちょっと違うよ。51番目ってうちじゃねぇか。
幸い、石破首相がいるから、日本も言い出せない。
昨年12月に中国を訪問した岩屋毅外相は、王毅中国外相に「(中国には)世界人類のため覇道ではなく王道を目指してもらいたい」と求めた(2025年1月25日付産経新聞記事『<産経抄>覇道をゆく中国に王道を願う日本政府の甘さ』)。
産経新聞は、中国の「台湾や尖閣諸島への領土的野心」を挙げ、中国の「覇道」を批判した。しかし、問いたいのは次の点である。トランプ大統領がデンマークにグリーンランドの購入を提案し、拒否された場合は武力で奪う意思を示したのは、「王道」と言えるのか?それとも「覇道」と呼ぶべきなのか?経済分野においても同様である。アメリカがローテク製品は中国から調達しつつ、ハイテク製品は中国に売りたくないとする態度は果たして「王道」なのか、それとも「覇道」なのか?
王道も覇道も利益を得るための手段であるが、覇道にかかるコストは王道よりも遥かに高い。歴史的に見れば、その違いは明らかである。アングロ・サクソン系白人は掠奪と戦争という覇道を通じて富を得た一方で、中国は朝貢という王道を利用し、外国から自発的に朝貢を受ける形で関係を築いてきた。中華文明は黄河と長江流域を起源とし、4000年にわたってその地域を中心に発展してきた。これに対し、スカンジナビアを起源とするアングロ・サクソン系民族は、英米加豪の各地域を含む広範な土地を、原住民への侵略を伴う覇道によって支配下に置いた歴史がある。
さらに、日本自身についても問いたい。アメリカにこうした矛盾を突く議論を仕掛ける勇気すらない、いわゆる「武士道」国家の日本は、一体今どの「道」に立っているのか?その説明を求めたい。産経のこのような論評は、結局のところ、似非保守層の「負け犬の遠吠え」を煽る第一声に過ぎないのではないか。

● 中国のAIと半導体
中国製AIのDeepSeekは、政治的な「敏感話題」に回答拒否する。想定内というよりも当たり前。西側の場合、プロパガンダ洗脳機能が中国よりはるかに洗練されているだけに、「逆洗脳」機能が必要だ。ChatGPTもかなりしつこく思想誘導、洗脳する。私は「反洗脳」でGPTと議論していると、GPTが論破されることがしばしばある。東西を問わず、いかなる洗脳も論理的議論に堪えることができない。中国のAI開発者はおそらくこの点を見抜いた。だから、取られた手段は、議論しない、つもり回答拒否だ。
中国半導体の実力は台湾積体電路製造(TSMC)の3年遅れの水準にまで迫っている。これは昨年8月の報道。中国は驚異的なスピードで追い上げている。早ければ来年中に台湾の半導体優位が失われる。一番怖いのは、EV車同様、中国が世界的半導体サプライヤーになることだ。すると、半導体市場の相場が大きく崩れる。その時、アメリカが中国半導体のダンピングを非難するのだろうか。そういう状況を作ったのはアメリカだ。
4年前から言ってきたことだが、中国は、最後3つの関門を乗り越えれば、世界のトップに躍り出る。
1、人民元
2、軍事力
3、半導体やAIハイテク
3つ目は1~2年以内に成就できそうだ。
● 鬼畜米英と反中嫌中
日本人は戦前戦中の「鬼畜米英」から戦後の米国崇拝に一転して変節した理由は?と、私が聞いてみた。DeepSeekは非常に頭が良い。私の仕掛けに引っ掛からなかった。「それは「変節」ではなく、「現実主義的な適応」だ」と百点満点の回答。
人間はイデオロギーを原理主義化することはほとんどない。基本的に経済的利益を中心とした現実主義者である。ただイデオロギーの虚像を認識しておらず、または隠蔽する日本人が非常に多い。故に、「反中嫌中」としている一方、経済的対中依存から脱却できずにいる。いざ状況が変われば、日本人は一気に親中に傾くだろう。現実主義的な適応で集団行動すれば、気まずいことは何もない。
実は、現下の「反中嫌中」も全体主義的な集団行動である。
● ワシントンの飛行機事故
米首都ワシントンで2025年1月29日夜に発生した、アメリカン航空機と米軍ヘリの空中衝突事故を受け、トランプ大統領は記者会見で、連邦航空局のいわゆる「多様性への取り組み」を厳しく批判した。聴覚・視覚障害、四肢欠損、部分麻痺、完全麻痺、てんかん、重度の知的障害、精神障害などを持つ者が採用対象となれば、航空機運行の安全性に影響を及ぼしかねないと指摘した。
記者から「この事故と多様性政策にどのような関連性があるのか」と問われると、トランプ大統領は「常識だ」と一喝した。多数の乗客の命がかかる航空運行の安全という公衆の利益を考えれば、優秀な健常者を厳選して雇用するのが常識であると主張。障害者個々の権利を持ち出す場面ではないことは、自明の理である。
障がい者云々全くのポリコレである。
● 日本人よ、名言を疑え!
「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という二宮尊徳の言葉について、前半部分は正しいが、後半部分の「犯罪」は主観的な「断罪」に過ぎず、論理的に重大な欠陥がある。
まず、「犯罪」という言葉を用いることで、道徳の喪失が法律違反と同義であるかのように断定している点が問題である。「犯罪」とは法律を破る行為を指し、法律は社会秩序を維持するために定められた具体的なルールである。一方、「道徳」は個々人や社会の価値観に基づく規範であり、その内容は時代や文化によって異なる。不明確かつ主観的な基準である道徳と、具体的で普遍的な適用を目指す法律を同一視するのは誤りである。
さらに、道徳の喪失が必ずしも経済活動における法律違反を意味しない点も明確である。道徳に反する行為が倫理的に批判されることはあっても、法律に違反していない限り、それは「犯罪」とは言えない。たとえば、搾取的なビジネスモデルや利益至上主義の経営は道徳的に非難されるかもしれないが、法律を守っている限り犯罪ではない。
よって、「道徳なき経済は犯罪である」という主張は、道徳と法律という異なる概念を混同した主観的な断罪に過ぎず、論理的に成り立たない。経済活動における道徳の重要性を強調する意図は理解できるが、そのために誤解を招く表現を用いるべきではない。
「道徳なき経済は犯罪である」は、ただの無知と偽善。浮気の金持ち旦那を罵りながら、金の欲しさで離婚だけはしない妻。独裁中国を批判しながら、安い中国製品(サプライチェーン)だけはやめられない日本人。こういう人は全て、「道徳なき経済」。だが、「犯罪」でも何でもない。二宮尊徳の説は、偽哲学、反哲学だ。
「道徳なき経済」。新自由主義のことを指している場面もある。ただ、日本は一度も新自由主義などを体験したことがない。童貞君が不倫と言われても……。
日本人が「道徳」を過度に美化し、名言を無批判に受け入れる傾向がある。
日本では、「名言」や「格言」がしばしば権威を持つとされ、出典となる人物や背景について深く検証されることが少ない。特に歴史的な人物の発言や偉人とされる人々の言葉は、それがどのような文脈で述べられたのか、どのような制約や限界があるのかを検討することなく、「正しいもの」として受け入れられがちである。
日本の教育や社会環境は、個々の主張に対して批判的に考える機会が少なく、権威や伝統を尊重する傾向が強い。そのため、「道徳」や「名言」に対しても、自ら考え、評価する姿勢が十分に育まれていない。たとえば、二宮尊徳の「道徳なき経済は犯罪である」という言葉に対しても、その背景や意図を分析するのではなく、「立派な考え」として盲目的に受け入れる人が多い。
日本社会では、集団調和を重んじる価値観が強いため、個々人の考えよりも「道徳」や「格言」といった、社会的に共有された基準に従うことが求められる。この同調圧力が、名言や道徳的価値観を批判的に捉えることをためらわせる原因となっている。
さらに言うと、国際政治において、国家利益という経済を守らない、守れない政治家こそが、「犯罪」である。マキアヴェッリ曰く「君主たるものは宗教や道徳ではなく、力を信奉すべきだ。 力のみが国家存続の唯一の条件である」。力と道徳は、矛盾でもなければ、二者拓一でもない。道徳とは力あっての余裕である。力なき道徳は単なる弱者の自己美化に過ぎない。




