ボランティア教育事業と経済的利益の関係

 マラヤ大学の副学長からメールが届いた――。「マレーシアからもグローバルリーダーを生み出したい。ご協力をお願いしたい」。この言葉を読んだ瞬間、目頭が熱くなった。死ぬまで食うに困らぬ生活があるならば、あとは何をなすかが問われる。私は、ボランティア教育事業に自らの余生を捧げ、燃え尽きることを望んでいる。マレーシアに恩返しをし、この世を去りたいと考えている。

 「立花さんはいつも経済的利益について語っているが、ボランティアとは矛盾するのではないか?」と問われた。否、矛盾ではない。私は確かに利益を得ている。心が満たされることこそ、最上級の利益ではないか。

 寄附も素晴らしい。しかし、昨今、正体の知れぬ慈善団体が寄付金をどのように運用しているのか不透明な時代である。ゆえに、自ら汗水を流し、社会に恩返ししていくことこそ最善と考える。

 時代は変わった。分配可能な資源が減少する中、我々既得権益層である老人は、次世代の若者たちに対して何ができるのか、何をなすべきかを問われている。それは、教育である。若い世代にサバイバルの力を身につけさせるべく、教育することこそが使命である。

 神から授かったこの機会は、私にとって最大の利益である。

 さらに、もう一点気になることがある。私がマレーシアで立ち上げたボランティア教育事業の一部は、日本政府の国庫補助金によって運営されている。そこで育成した優秀な学生たちが、もし給料の高い非日系企業へ就職したらどうなるのか?先日、この点について政府に問い合わせたところ、「問題ない。就職の自由は基本的人権であり、強制はできない」との回答だった。

 それならば安心だ。しかし、それでも私は日系企業に対し、優秀な人材を定着させるための賃金評価制度の改革を繰り返し呼びかけている。だが、一部の有志を除けば、多くの日系企業はこの問題に無関心のままだ。

 それでも、私は若い世代の幸せに責任を持ちたい。そう考えると、少し気が楽になる。

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