● 大谷翔平と詐欺犯における感情投影の怪
カンボジア捜査当局は7月25日までに、プノンペンで日本人4人を拘束した。特殊詐欺に関与した疑いがある。東南アジアでは特殊詐欺に絡んで日本人がホテルなどに潜伏し犯罪行為を繰り返すケースが相次いでいる。
大谷翔平が活躍すると、「我々日本人が世界で認められている」と喝采する声がSNSにあふれる。だが同じ「日本人」が海外で詐欺事件を起こした場合、誰も「我々日本人がやってしまった」とは言わない。この非対称性、つまり選択的な同一化は、明確な認知バイアスであり、精神的な未成熟を露呈している。
成功者にだけ自己投影する「願望の依存症」。この現象の本質は、「自己の無力感を一流の他人に依存して補完する」という代理的承認欲求である。自らの人生に成果がない者ほど、成功者と同じ国籍というだけで勝手に誇らしくなりたがる。逆に、同じ国籍の犯罪者には「無関係」を装い、切り離す。なぜなら、自己像の汚染を避けたいからである。
成熟とは、「他者を他者として見る」こと。大谷翔平は大谷翔平、カンボジアで捕まった詐欺犯は詐欺犯。どちらも「我々」と一括りにする意味は、本来どこにもない。集団帰属に無自覚なまま「成功だけ共有し、失敗や罪からは目を逸らす」という態度は、単なる国民的ナルシシズムである。
これは政治や企業経営にも同じことが言える。功績には群がり、責任には沈黙する。そのような集団が組織を内側から腐らせる。本当の成熟とは、「自己と他者を峻別し、感情の投影をコントロールできる知性」の上に成り立つ。

● 民主主義制度の宿命~矛盾の倒錯
毛沢東は、矛盾を「人民内部の矛盾」と「敵我矛盾」に分類した。前者は人民同士の非対抗的矛盾であり、民主的手段により解決されるべきとされた。後者は反革命分子などとの敵対的矛盾であり、国家の強制力により処理すべきとされた。この区別により、体制内の批判を一定程度許容しつつ、体制転覆の動きを排除する正当性を確保する政治的枠組みが構築された。
本来、民主主義制度においては、人民内部の矛盾を優先的に扱い、討論や制度的メカニズムを通じて合意形成を図るべきである。しかし現実には、政党や指導者はしばしば内部の異論者を「敵我矛盾」としてラベリングし、大衆を煽動し、権力を固めるために利用する。その結果、内部の対立が外部の脅威よりも優先されるという倒錯が生まれる。
こうして民主社会は、「民主を守る」という名目のもとで、制度の自己破壊と粛清を始め、真の外敵は手を下すまでもなく漁夫の利を得る。これは単なる政治的操作の産物ではなく、民主制度が本来内包している構造的な誘惑でもある。票が原則に優り、感情が理性を圧倒し、敵意が対話に取って代わるとき——民主主義は外敵に攻撃される前に、内部から崩壊し始める。
ゆえに、民主主義の衰退とは、偶然の危機ではなく、制度的メカニズムが自覚的に制御されないときに訪れる、歴史的必然なのである。
● 右も左も…
右も左も、異なるイデオロギーを持つ方々、どちらも尊敬に値する。ただ、前提があるーー。
左右の思想やイデオロギーの原理をきちんと理解し、なぜそれが正しいと思ったか、自分はどのような独自の解釈や認識を持っているか、またどのように実践しているか、こういった部分、つまり思想と実践が決して欠落してはいけない。宗教にはバイブルがあってその解釈や実践が求められるのと同じことだ。
一つ例を挙げると、「親米反中」を「保守」の符号として掲げているいわゆる保守派が多い。しかし、「親米反中」と「保守」とはどんな関係があるのか、論理的に説明できるのか?そもそも「保守」とは何か、これすら説明できない人が多いのではないだろうか。こういう無思考・無思想の偽・似非右左の人々は尊敬に値しない。反知性主義というレッテルを自ら張っているようなものだ。
● 大衆はこのように搾取されている
大衆が貧しいのは、搾取されているからだ。だが、どのように搾取されているかを理解していない。ポストマルクス時代において、大衆は「労働搾取」の構造には比較的気づきやすいが、「消費搾取」の構造にはほとんど気づかない。
「労働搾取」とは、生産過程において労働者が生み出した価値の大部分が資本家によって吸収され、賃金は生活維持に必要な最低限に抑えられる構造である。
一方、「消費搾取」とは、労働によって得た賃金の使途が必要消費にとどまらず、不必要な消費へと誘導されることにより、可処分所得が意図的に減耗させられる構造である。広告、ブランド戦略、ローンやクレジットを含む金融商品は、この不要消費を制度的に促進し、労働者の資産形成と資産増殖の機会を長期的に奪う。
さらに、現代においては、時間という最大の消費資源までもが、SNSをはじめとするデジタルプラットフォームによって巧妙に搾取される。情報の洪水と承認欲求の刺激は、労働から解放されるはずの余暇時間をも消費経済の循環に組み込み、資本の利益へと変換する。結果として、労働者は資産所得を持たず、再び労働によってのみ生活を維持せざるを得ない。
かくして、「労働搾取」と「消費搾取」、さらには「時間搾取」の三重搾取が、資本主義の再生産構造として閉鎖ループを形成し、大衆を恒久的労働依存状態に固定する。そしてこの構造は、かつての「受動的被搾取」から、自ら進んで消費・情報発信・自己演出を行う「能動的被搾取」へと変貌を遂げた。これこそが、マルクスの『資本論』を現代に更新した資本論V2.0の核心である。
● 背番号を拒む愚
私はマイナンバー制度に賛成だ。
マイナンバー制度とは、国家が国民を一意に識別し、税・社会保障・行政給付を正確かつ効率的に行うための基本インフラである。国民一人ひとりに番号を付すことは、近代国家として当然の管理構造であり、これを「監視」と捉えるのは本質を取り違えている。
プライバシーの侵害を懸念する声もあるが、現実には民間企業の方がはるかに詳細かつ網羅的に個人情報を把握している。SNS、位置情報、購買履歴、通信記録に至るまで、民間は国家以上に個人をトレースしている。それにもかかわらず、「国家だけが怖い」という発想は、単なる感情論であり制度設計上の整合性を欠く。
マイナンバーはむしろ、国家の不正・誤認・冤罪から国民を守る盾となる。精密な個人識別によって、過剰徴税や給付漏れを防ぎ、行政処分のトレーサビリティが確保されるからである。番号があるからこそ、誤りの修正ができ、説明責任が果たせる。
国家は国民を管理する主体であり、その管理機能の合理性は国民生活の安定と公正に直結する。背番号なき国家こそ、無責任で非効率な社会の温床である。マイナンバーは自由を制限するものではなく、秩序と公平を実現するための制度的装置である。
だいたい、「右だから国家管理に賛成」「左だから反対」というような符号的分類そのものが幼稚である。制度には制度としての目的と合理性があり、それを思想のラベルで裁断すること自体が、思考の怠慢である。真に思考すべきは、制度が社会に何をもたらすのかであって、それを誰が言ったか、どの陣営かではない。
分類の快楽に逃げるな。思考せよ。判断せよ。現実を直視せよ。制度はイデオロギーではなく、機能そのものである。
● プーチンのアラスカ訪問
プーチンの大勝利。
ロシア大統領がアラスカの地を踏むことは、単なる外交訪問ではなく、ロシア帝国時代からの歴史的連続性、米ロ関係の変遷、北極圏をめぐる地政学的競争、そして国内政治的パフォーマンスという複数の文脈が交差する象徴的行為である。
アラスカは1867年までロシア領であり、その売却から150年以上を経ての訪問は、失われた領土への歴史的回帰という意味を帯びる。また、冷戦期には不可能であったこの行為は、米ロ間の緊張緩和か、あるいは挑発かを測る外交的温度計ともなり得る。
さらに、アラスカは北極海の玄関口であり、資源開発や北極航路利用をめぐる戦略的要衝であることから、訪問は北極権益への関心を示す地政学的メッセージともなる。
そして、国内的には過去領土への言及や行動がナショナリズムを喚起し、支持基盤を固める内政的効果を持つ。ゆえに、この訪問は歴史・外交・地政学・内政の全ての次元において強い象徴性を帯びた歴史的出来事である。




