日本は監視社会だ。人々は互いの顔色をうかがい、視線を絡め、評価を下し合う。仮面を貼り付けた動物たちが、檻の中で窮屈に並び、外の見物客を観察している――そんな逆転した動物園。
先日、私の外食風景に、あるお方からご丁寧なご忠告をいただいた。曰く――
「そんな店に行ってるとミーハーと思われて、人格まで疑われますよ! 接待には絶対に使わない方がいいですよ! 見る人はちゃんと見ますからね。繁盛してる様には見えませんが」

ありがたいことである。見ず知らずの人格まで気にかけてくださるとは。
まず「客観」から。このお方が「繁盛してない」と断じた根拠は、おそらく写真に写ったカウンター3席の空席。しかし撮影時刻は18時前。本番はこれからで、8時過ぎには満席、客の二交代が始まっていた。判断材料の乏しさを棚に上げ、印象だけで断定する――これぞ「見る人はちゃんと見ます」の正体である。
次に「主観」。このお方はきっと、いつも「繁盛店」にしか行かれない。そして、何より「人からどう見られるか」を人生の羅針盤としている。他人の目という監視カメラの前で、常に姿勢を正し、表情を作る。自主的な判断よりも、人間ドックならぬ「世間ドック」を定期受診して生きるタイプだ。
私は真逆だ。人にどう見られようと、自分が良いと思えばそれでいい。気に入らぬ客は接待しないし、そんな価値観の相手とは商売もしない。これこそが私の「人格」である。
日本は、基本的に「監視社会」だ。人の目、人の評価を常に気にしながら、仮面を貼り付けて生きる。息苦しさを人生の標準空気と勘違いし、酸素ボンベの存在すら忘れる。
檻の中の動物が、檻の外の見物客を観察している――そんな逆転した動物園の風景こそ、この国の縮図だ。背骨で立つ人間こそ「人格が疑わしい」と言われるこの檻で、私は檻の外から笑って眺めていたい。――実に皮肉な話である。




