日本人「マスク外す日」、永遠に来ないのか?

 「マスク外せ」派の皆さんにお勧めする。非常によくまとめてくれた、秀逸な記事である――。『日本人「マスク外す日」、永遠に来そうにない6理由』(2022年9月27日付け「東洋経済Online」)

 「マスク外せ」と文句を言う日本人が多いだけに、法的義務や強制はないので自分から外せばいいのに、なぜできないのか?結局、同調圧力に屈している。世間から白い目で見られる、その「社会的圧力」を引き受けるリスクを取りたくない。そこで、政府に「マスク外せ」号令を求める。

 しかし、政治家だってリスクを取りたくない。社会の同調圧力(民意)を押し切って、しかも感染症再拡大のリスクを取ってまで政治的決断をするわけがない。どんな政治家でも「マスク外せ」などと言えないのだ。基本的に「マスク推奨」の姿勢で通す。結局のところ、政治家の問題ではない。日本社会、日本人自身の問題なのだ。

 誰もリスクを取りたくないのは、日本社会。自縄自縛、自業自得としか言いようがない。

 「マスク外せ」派の皆さん、肝心なことに、「誰」にそう言っているのか?まず、自分からマスクを外そうではないか。堂々と同調圧力に屈することなくやればいいのに、なぜそれができないのか?「出る杭は打たれる」、出る杭になったときの不利益を回避したい。自分にできないことを他人に呼びかけても説得力がない。社会は動かないし、変わらない。

 SNS上、「マスク外せ」グループも一派を成している。マスクのあらゆるデメリットや危険性を裏付けるエビデンス、その信憑性がどうであれ、あらゆるエビデンスと思われる情報をとにかく寄せ集め、いささか「遠吠え」的な大合唱をする。これは実は逆方向の「同調圧力」を形成する行動なのだ。

 そういう意味で、どっちも「同調圧力」。その裏に見え隠れするのは日本社会の全体主義である。東洋経済記事の見出し『日本人「マスク外す日」、永遠に来そうにない』も、「日本人」という一括りで総括し、事物の本質を示唆している。

 偉そうに言う私は、「じゃ立花さん、あなたならどうするの?」と聞かれたら、答えは「逃げる」。それだけだ。だから、私は海外に逃げた。他人を変えることができない。だから自分を変える。もちろん、他人を変え、社会を変えることは大いに結構だ。そういう大志をもつ人は尊敬に値する。

 最後に言明させてもらおう。私は「マスク外せ」派ではない。ワクチンは「化学的遮断」であり、マスクは「物理的遮断」。両方ともなくして遮断を全面廃止には、時期尚早だと私は認識しているため、自分は在宅・ホテル客室内、運転、食事中、歯科治療以外は基本的にマスクを着用している。

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