石畳のノスタルジック風情はスニーカーの群れで磨耗し、路地裏の静謐はセルフィー棒で蹂躙される。
日本の観光立国、聞こえは麗しいが、その実態は「自国の静けさと品格を切り売りして、他国の下級非富裕層に安売りする国」。そして政府はそれを「経済効果」と称して拍手喝采、まるで騒音を国宝に登録するかのようである。アホにも程がある。
売上=客単価×人数。
観光業の基本モデルは非常に単純。人数を取るか、単価を取るかだ。つまり「KPI」の設定。本来は高単価を狙えば少人数でも静けさと品格を守れるのに、「観光立国」はひたすら人数に走り、安宿と格安航空券で国全体をフル稼働させる。結果、上質な文化は薄まり、静けさは消え、売れたのは景観ではなく喧噪だった。
人数を減らす発想がないのは、観光政策の発想が「数値目標=人数」依存になっているからである。いくつか理由を挙げると――
1. KPIが単純で政治的に使いやすい
「〇〇万人達成!」は見出しにもポスターにも載せやすく、成果アピールが容易。単価や質は説明が面倒で、短期的な票や支持に直結しにくい。
2. 高単価戦略は難易度が高い
高額客を呼ぶにはブランド価値の維持・文化資源の保全・受け入れ環境の質向上が不可欠。これは時間も投資もかかり、任期内に成果が見えにくい。
3. 既得権益の構造
航空・バス・格安ホテル・土産物業者など、「大量客前提」で成り立つ業界が強い発言権を持ち、人数削減に抵抗する。
4. 短期経済効果の誘惑
大量客は即効性のある売上・雇用を生み、統計数字も急上昇するため、景観破壊や住民疲弊といった長期コストを後回しにしがち。
5. ハイエンド商業モデルの不在
日本の観光マーケットは「大衆向け総動員戦」には強いが、「富裕層一点突破戦」には弱い。富裕層向けに少人数に合わせたカスタマイズや静けさの演出、ホスピタリティの一貫性が弱く、「おもてなし」は精神論で止まりがち。
要するに、「質より量」は政治・業界・メディアが共犯関係で選びやすい麻薬みたいなもので、やめられないのである。





