7月19日(土)、マレーシアの東大とも称されるマラヤ大学での講義が始まった。日程の都合上、今回は土曜開催となったが、それがむしろ幸いした。土曜に勉強しに来る――その覚悟を持つ学生は、少数であっても真剣そのもの。頭の回転が速く、反応が鋭い。そうした若者たちと過ごす時間は、私にとって何よりも甘美である。

最後に私はこう締めくくった――「I am old, but my heart is still young」
私は以前こんな質問を受けたことがある。「立花先生は日本の大学で教えるおつもりはありませんか?」
答えは明確だ――「NO」である。
もちろん、個人として尊敬できる研究者も日本には存在する。しかし全体として見れば、日本の大学の平均的水準はあまりに低く、東大ですらその例外ではない。特に目を覆いたくなるのが「特任教授」なる肩書きの氾濫だ。かつては専門性や実務経験を活かす特別な制度だったが、今では博士号も業績もなく、政治力や顔の広さだけで任命される者が跋扈している。
まともな論文も書かず、まともな授業も持たず、しかし「教授」と名乗る。それは学問の免税措置、いや、看板だけ立派なマネキン人形である。大学が経営難にあえぎ、外部資金を求める中、「特任教授制度」は便利な飾りとして濫用されている。教育も研究も、短期契約と広告効果に引きずられ、本質が失われつつある。
だから私は、こう警告する――「皆さん、『先生』という肩書きの8割は詐欺師だと思え。そして、盲目的に子供の教育に投資するな!」「間違っても『特任教授』のゼミに子供を送るな!」
さらに言えば、私は日本で投票したくない。なぜなら、レベルの低すぎる大衆と同列に扱われたくないからだ。教えたくないのも同じ理由である。レベルの低すぎる教授陣と並ぶことに耐えられない。議論をふっかけてくる日本の愚民には呆れるばかりだが、それ以上に情けないのは、日本のエリートですら、私と正面から議論できる者が一人もいないという現実だ。皆、議論から逃げる。
それが、日本の「教育」の実態である。
私の心がまだ若くいられるのは、マラヤ大学のような場所で、真剣に学ぼうとする若者たちと出会えるからである。そして、老いた学問の世界から遠ざかることで、自分自身の知性と誇りを保ち続けているのだ。




