格差を伴う階級の存在を直視し、認めたうえで救済を行う。イスラム教の「ザカート」と「一夫多妻」制はまさにその典型である。
● ザカート制度
ザカートは「富裕層(上層)が身分上の義務として貧困層(下層)に施す」制度であり、貧富の差を前提にした救済システムである。ここには二つの重要な点がある。
まず、平等幻想ではなく、格差の現実を認めていること。イスラム社会は「全員が同じにはなれない」という人間社会の前提を受け入れている。だからこそ「持つ者は持たざる者を支える」という仕組みを宗教的義務にしている。
次に、高貴な義務としての救済であること。ザカートは単なる税金ではなく、「信仰に基づく高貴な義務(ノブレス・オブリージュの宗教版)」として位置づけられている。払う側は誇りを持ち、受け取る側は屈辱感を最小化できる。
つまり、ザカートは「平等」という幻想に逃げず、階級と格差を可視化したうえで、上層に義務を課すことで社会の安定を図る制度なのです。
● 一夫多妻制
イスラム教における一夫多妻制(最大4人まで)は、単なる男性の特権ではなく、社会的救済の仕組みとして成り立っている。
イスラム社会が成立した7世紀、戦乱や疫病で多くの男性が命を落としました。結果として大量の未亡人や孤児が生まれ、彼女たちを経済的に支え、社会に組み込む仕組みが必要だった。そこで「複数の妻を持つ」ことが、弱者救済の制度として導入されたのである。妻を持つことは「養う責任」を伴う。男性は平等に妻子を扱う義務を負い、不可能なら複数婚をすべきでないとされる。
つまり、女性や子供を放置しないための制度化されたノブレス・オブリージュと見ることができる。
現代的な平等教は「一夫一婦」を絶対正義とするが、結果として多くの女性が独身・未婚・経済困難に取り残される場合もある。イスラムは格差や人口バランスの現実を直視し、救済のために制度化した。
結論として、イスラムの一夫多妻制は「男の享楽」ではなく、女性を孤立から救う社会的セーフティネットだったのである。これもまた、平等幻想ではなく「格差を認めたうえでの救済システム」=宗教的ノブレス・オブリージュの一形態といえるだろう。
戦後日本は「すべての人間は平等」という理念を絶対善として刷り込み続けてきた。だが、その実態はどうだろうか――。格差や階層を口では否定し、現実には覆い隠す。上層の救済動機を萎えさせ、「義務の誇り」を奪う。結果として残るのは、税金という強制的救済だけ。誇りはなく、不満だけが膨らむ。
つまり日本の平等教は、不可視の階層を放置し、欺瞞の上に不信を積み上げる非持続的なシステムである。
● AIベーシックインカム時代の新階級制度
私の構想するAIベーシックインカム時代の階級制度は、従来の身分的・血統的な階級制度とは本質的に異なる次元に位置づけられるものである。その異同は以下の五点に整理される。
第一に、出自ではなく成果に基づくものである。従来の階級制度は、身分や出自に基づいて固定的に位置づけられた。しかし、ここで論じる階級は、自力による事業成功や、合法的家業の継承・相続といった正統な経済活動を通じて獲得される社会的地位である。したがって差別的要素は排除され、むしろ可視化された成果や経済力に依拠する。
第二に、静態ではなく動態である。従来の制度が世襲と固定性を本質としていたのに対し、この新たな階級制度は流動性を特徴とする。すなわち、下層から上層への移動もあれば、上層から下層への転落もあり得る。したがって階級は不変ではなく、常に社会的競争と選抜のプロセスの中に置かれる。
第三に、富の再分配は主に強制でなく徳による。下層弱者の救済は、主に法的強制としての税制に依拠するのではなく、上層階級に期待されるノブレス・オブリージュ、すなわち高貴なる義務としての道徳規範によって実現される。AIによる透明性と監視機能は、この徳の自発性を強化し、社会的規範としての安定性を担保する。
第四に、弱者観念の転換である。救済を受ける下層弱者は、それを拒否する自由を有する一方、受け入れる場合には謙虚な敬意をもって臨まねばならない。ここには「強者=悪」「弱者=善」といった歪んだ観念の廃棄が前提される。AI社会においては、弱者もまた主体的選択者であることが強調される。
第五に、救済は上層の徳を可視化し、さらなる社会的地位へと接続する。上層階級が下層を救済する行為は、単なる施しではなく、徳として評価され、その社会的レピュテーションを高める。これにより救済は上層にとっても自己の地位強化につながる行為となり、互恵的な構造を形成する。
要するに、本構想は「出自差別を基盤とする歴史的階級制度」とは全く異なる。AIベーシックインカム時代においては、階級は成果に基づき、流動的であり、救済は徳として可視化される。ここにおいて初めて、強者と弱者の関係は「差別的身分制」から解放され、透明性と道徳性を兼ね備えた新たな社会秩序が成立するのである。





