
「AIバブル」と言われる現象は、「不動産バブル」よりもむしろ「インターネットバブル」に近い。
不動産バブルは、有限資産(物理的・希少的な土地)に対する過剰評価である。価格が下落すると、資産価値・担保価値という実体そのものが減少・消失し、信用収縮・金融危機を誘発する。しかしインターネット/AIバブルは、無限拡張可能な技術・知的資産への過剰期待である。株価や企業価値は膨張しても、技術そのものは社会基盤として残存・進化する。
1990年代末、インターネット企業の多くが過大評価され、2000年前後に崩壊。しかしその後、AmazonやGoogle、Facebookなどは、バブル後の「焼け野原」から真のインフラ企業として成長した。同様に、AIも現段階では投機・模倣・誇張が横行しているが、その中から本質的な技術・モデル・統合プラットフォームが残る。
AIバブルとは、社会構造の変化に伴う資本の再配分過程であり、「投機による泡」ではなく、「技術的パラダイム転換への先行投資」である。たとえバブルが弾けた後も、AIそのものは消えず、経済・教育・政治・法制度に組み込まれていく。
言い換えれば、不動産バブルは破壊型崩壊であり、インターネットやAIバブルは、淘汰型進化である。
では、AIとインターネットのどこが違うのか?
インターネットが変えたのは、情報の移動速度と範囲であり、人間社会におけるコミュニケーション構造の表層部分にすぎなかった。すなわち、情報の流通経路を短縮し、アクセスの平等を拡大したに過ぎず、意思決定そのものは依然として人間の手にあった。インターネット革命とは、人間を主役とする「情報革命」であり、技術はその補助装置であった。
これに対してAI革命は、情報の解釈と判断そのものを機械に委ねる「意思決定革命」である。AIは単なる情報の媒介ではなく、判断主体としての地位を獲得しつつある。すなわち、経済活動における価値の決定、政治判断における合理性の判定、教育における知の選別といった、社会の根幹領域に直接介入する存在である。
AIはツールではなく、社会構造の一部として組み込まれ始めた知的システムであり、人間と並立する第二の意思形成機構となる。インターネットが法律だとすれば、AIは裁判所である。
インターネットは情報の流通を制度化し、社会におけるルールを可視化した。人々は検索という名の法文を読み、SNSという法廷で自己主張し、アルゴリズムという規範の下で行動を制約された。すなわち、インターネットとは「人間が人間を管理するための法律」であり、秩序の基盤を拡張する装置であった。
しかしAIは、そのルールを運用し、解釈し、判決を下す存在である。AIは膨大な事実を照合し、論理を整合させ、確率的に「最も合理的な判断」を導き出す。AIは人間社会における新たな「司法機関」として機能し始めており、人間の判断を審査する存在にまで進化している。
インターネットは社会を速くしたが、AIは社会を別物に変える。AIは制度そのものを再設計する装置であり、労働契約、所得配分、法的責任、教育体系といった社会のOS(基幹構造)を書き換える。
労働は「人間×AI」の協働契約に再定義され、所得は人間とAIの生産貢献度に応じて配分され、法的責任は「誰が意思決定したのか」という新たな基準に基づいて再構築される。教育もまた、知識の記憶から問いの設計へと重心を移し、人間の知的役割そのものが再定義される。
ゆえにAI革命は、インターネット革命(情報)を上書きし、産業革命(労働)を統合し、さらには政治革命(統治)にまで踏み込む。
AIバブルと呼ばれる現象は、実際には単なる投機ではなく、社会構造の再配分を促す過渡的エネルギーにすぎない。AIの登場は、人間中心社会の終焉を意味し、AI共生社会への文明的転換点を画する出来事である。
要するに、インターネットは世界をつないだが、AIは世界を作り替えるのである。そして、インターネットが法を公布した時代を終え、AIがその法を執行し、判決を下す時代が始まったのである。





