マラッカといえば、「プラナカン」。多くのメディアでは、「マレーシアに根付いた中華系移民の末裔を指す」と解説され、それとほぼ同義的に、「プラナカン」イコール中華系「ババ・ニョニャ」と捉える傾向が見られる。私は、これが必ずしも正しいと思えない。少なくても現地に足を踏み入れてそう感じたのである。
プラナカン(Peranakan)とは、マレー語で「この場所で生まれた」を意味し、英語では「Born here」と訳される。だから、中華系に限らず、この地に住みつき、現地のマレー人と結婚し、生まれてきた混血の子孫のことである。ポルトガルを含むヨーロッパ系も、インド系も含まれている。
マラッカには、ポルトガルも中国も存在しない。その面影がうっすらと見えるだけ。しかも、それぞれの異文化は強く自己主張することなく、実にうまく溶け合って、ひとつの独自の形を作り上げている。それがプラナカンである。
このプラナカン文化を生み出し、成熟させた地として、街のいたるところに偉大な包容力を私が感じたのである。その包容力とは、まさに母胎的な温もりで長い歴史を通じて温められ、熟成するものである。そう、これこそが一種のソフトパワーであり、どんな経済急成長の成金的な街にももちえないものである。もちろん、財政投入をもって作れたものではない。世の中には金で買えないものがまだまだたくさんある。
マラッカの地にも、多くの本土中国人観光客が訪れている。彼らはここで何を学んだのだろうか。