ムスリムの「メリークリスマス」、中国人の「メリークリスマス」

 「メリークリスマス」

 いつものプール清掃業者のおじさんの口から飛び出した挨拶。一瞬耳を疑った。マレー系のおじさん、うちが望んだ金曜日の定期清掃を頑なに拒み、土曜に変更させたのも、金曜のサラート(合同礼拝)のためだった。「金曜礼拝のアザーン(呼びかけ)が聞こえたなら、アッラーを念じる為に急いで駆けつけ、商売などは放り出して来るのだ」(クルアーン(コーラン)62章10節)

 イスラム教は一神教。アッラーという絶対的唯一神、あれだけ敬虔なムスリム、なぜキリスト教の祭日にその挨拶をニコニコして口にするのか。いくらわれわれ外国人に向かっての世俗的挨拶とはいえ、さぞかし一見して理解し難いものだ。だが、はたしてそうなのか。

 ふと思い出したのは、イスラム教はそもそもユダヤ教やキリスト教と同じルーツであったことだ。イスラム教の唯一神をアッラーというが、それは特定の神様の名前ではなく、一般名詞でアラビア語で「神」という意味である。神様の名前はあえて言えば「ヤハウェ」である。つまりはキリスト教徒と同じ神様をイスラム教徒(ムスリム)は信仰しているのである。

 預言者(注:「予言」ではなく、「神様のお言葉を預かる」という「預言」)ムハンマド以外に、神様はノアやモーセなど旧約聖書の登場人物たちにもお言葉を与え、さらにイエスも預言者の一人だったとムハンマド自身もこれを認めている。イスラム教では、ムハンマドを「最後にして最も偉大な預言者」として位置付けつつも、他の預言者の存在を否定するものではない。

 であれば、イエス・キリストの降誕を祝うクリスマスをムスリムが丁重に祝賀するまでいかなくとも、軽く挨拶する程度なら何等不自然さもなかろう。

 どのような宗教においても、「神様への敬畏」というのは共通である。一方、中国各地で今年、クリスマス行事をボイコットする動きが広がっている。「中国人は外国の祭日を祝う必要はない」といった言葉を掲げ、デモも行われたという。そもそもクリスマスは外国の祭日ではなく、宗教の祭日である。意図的な混同であるかどうか不明だが、宗教排斥は決してあるべき姿勢ではない。無宗教・無信仰というのが一種の自由と権利だが、それが宗教信者の自由に異を唱え干渉し、排斥を訴える立場にはないはずだ。さらに、世俗化商業化されたクリスマスの側面を考えれば、市場や消費者の供給と需要の関係であり、それに介入することがいかに馬鹿馬鹿しいか。

 さて、これから、バレンタインデーも中国が抗議し、チョコレート購入のボイコットをやるのだろうか。

 

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