私はこうして会社を辞めました(57)―逃げ道は断たれる
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 独立後取った最初の中国労働ビザ 2000年6月30日、私、立花聡は、サラリーマン生涯に終止符を打った。 もう、毎日憂鬱な気分で会社の玄関をくぐることはなくなると思うと、肩から…
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私はこうして会社を辞めました(56)―大企業の看板と立花商店
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 「一杯、行きましょうか」 悶々とした毎日を元気なく過ごしていると、田辺本部長から食事に誘われた。田辺本部長はなかなかの酒豪で、何回も一緒に飲んだことがある。その日も例によって…
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日経ビジネス掲載、立花持論の「2割内販勝ち組」
S. Tachibana
先日、日経ビジネスの取材を受け、取材の一部内容をこのブログ「2009年05月13日 内販で勝てる日本企業はせいぜい2割」に書きました。 2009年6月29日号「日経ビジネス」の「特集 中国市場勝ち…
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私はこうして会社を辞めました(55)―行き詰まる転職活動
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 「心得十か条の質問書」という社長直訴書状に添えられた退職届は、一応形上の解決済みとして、撤回の処理となった。しかし、根本的な問題は解決されないまま、先送りにされただけだった。…
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私はこうして会社を辞めました(54)―私は「飛び地」の囚人
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 古田部長は、決して悪人ではない。仕事ができる有能な部長だった。彼の業績はロイターの中でも優秀な方で、仕事面でいえば私は彼をとても尊敬している。その反面、自信の持ちすぎで権力支配…
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私はこうして会社を辞めました(53)―自嘲に耽る孤独な鳥
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京帰任後の4か月目、月額20万円の「見なしコミッション」の支払いが、止められた。当初提示された年収900万円は、空中楼閣となった。コミッションがなくなると、実質的年収は、60…
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私はこうして会社を辞めました(52)―これが成果主義人事か?
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京に帰任して、私はNP部に配属され、地銀の東京支店担当課長という肩書きをもらった。課長なんて格好よく聞こえるが、部下ゼロの空ポストだった。しかも、あの「古田封建王国」では、古…
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【Q&A】経済補償金の計算は旧法期間を遡るのか?
S. Tachibana
【質問】 2007年12月31日以前も間接雇用していた社員と派遣会社経由で、08年4月1日―2年間の間接雇用を行った。2010年3月31日終了する場合の経済補償金の計算方式を教えてください。従前、0…
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私はこうして会社を辞めました(51)―給料が半分になる
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 香港駐在時代、私の給料は年俸98万香港ドル、営業コミッションを加算すると、円換算で年収1700万円を超える(香港の高い家賃はそこから控除されるが)。30代前半のサラリーマンにし…
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