私はこうして会社を辞めました(52)―これが成果主義人事か?

<前回>
(敬称略)

 東京に帰任して、私はNP部に配属され、地銀の東京支店担当課長という肩書きをもらった。課長なんて格好よく聞こえるが、部下ゼロの空ポストだった。しかも、あの「古田封建王国」では、古田部長が唯一の帝王として君臨する限り、課長だろうと次長だろうと、ただの小間使いにしかなりえない。古田の号令で部が一斉に動くのだ。一人一人独自に思考するよりも、「心得十か条」を頭に叩き込み、服従さえ覚えれば良いのだった。

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 一言で言えば、NP部では、「思考力」よりも「順応力」と「服従心」が求められていた。これでは、人間の脳が腐ってしまう。思考して行動できない人間は、飼われたペットになってしまう。

 収入面でも、深刻な状況に直面する。当初、東京勤務の条件として、「月給45万円プラス定期ボーナス、営業コミッション平均月20万円の上乗せで、年収900万円程度」と提示されたが、実際に東京に戻り、地銀を担当してみると、コミッションがもらえないことが分かった。

 金融危機と銀行統合の結果、地銀は東京拠点の縮小を余儀なくされ、新規契約どころか解約を食い止めるだけで精一杯だった。会社も状況をよく知っていた。解約を食い止めるだけでも、評価すべきだと言ってくれ、最初、「見なしコミッション」として毎月約束の20万円を払ってくれた。しかし、この「見なしコミッション」は、3ヶ月後止められた。

 売上げもしないのに、コミッションをもらえないのが当然だが、公平なスタートラインがあってこその話だ。しかし、ロイター・ジャパンは、大手外資銀行、大手都銀、地銀、一般企業など、顧客の業種や業態、規模で業務担当を分けていた。すると、経済・金融情勢で景気グループと不景気グループが出来上がり、そこで売上げないし個人のコミッション収入の明暗が分かれる。

 結果の平等があってならないが、機会の平等は、公平性上欠かせない必須条件だ。だが、ロイター・ジャパンでは、スタートライン時点の「機会」の平等が欠落しているにもかかわらず、単純に売上げという「結果」に基づき、無差別な一律ルールで全営業社員の業績を評価していた。これは、不公平以外何物でもない。成果主義人事と名乗っても、そもそもゲームのルールがゆがんでいる以上、公平な結果にはならない。人事制度構造上の欠陥だった。

 現在、私が人事コンサルティングを行うとき、成果主義の人事制度の立ち上げにあたっては、制度内容よりも、ルールや評価基準、そしてプロセス上の公平性、公正性と透明性を最重要視している。それは、私自身のこの苦い過去体験が教材になったと言っても差し支えない。

 組織の中で、業務配分上の合理性を考え、完全たる公平性はありえないのが事実だが、その歪みを補正する調整機能を必ず設けなければならない。それから、もう一つ重要なことだが、個人業績の一本を基準にし、単純個人コミッションベースで評価すると、チームワークの欠落や崩壊のリスクに直面し、最終的に必ず顧客満足度の低下につながる。

 中国や香港駐在中に、私は高い給料と個人コミッションをもらっているだけに、部下やチームメンバーに定期的に食事や酒をおごったり、結婚式や誕生日にお祝いを包んだりしていた。もちろん、すべて私個人のポケットマネーだった。私一人に払われていたコミッションは、本来チーム全員に配分すべきものだが、会社の配分ルールがそうなっていなかったため、私が代わりに調整機能を設け、その再配分をしていただけだった。

<次回>

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