弁護士の価値と現場ワーカーの価値、代替性の高低がすべて

 「代替性」――。これはおそらく現今の企業雇用制度と人事制度の中心だ。

 要するに、その人材は短期間に他の人材によって取って代わられる、それができるかどうかだ。代替性の低い人材ほど価値が上がる一方、代替性の高い人材となると価値が低下する。

 これは必ずしも職種や職務内容にリンクするとは限らない。

 たとえば、弁護士。弁護士なら価値が高く、収入や給料が高いとは限らない。まずその弁護士の代替性を見ないと分からない。司法試験合格者数の拡大につれ、法曹界における弁護士の独占性が低下し、代替性が上がるわけだ。同じ仕事においては、できる弁護士の人数が増えれば増えるほど、案件受注の争奪になるし、報酬も低下する。

 そこで、たとえばミャンマーの知財法や司法制度、実務ないしコピー商品対策に詳しい弁護士。これは希少性が売り物になるだろうし、代替性が大幅に低下すれば、存在価値が当然アップし、高いフィーでも企業が喜んで出して、その弁護士に案件を依頼する。

 一方、では単純労働者、工場の現場ワーカーならどうだろうか。これはまた一概と価値が低いとは決していえない。経済が発展すると、人、特に若い人が単純労働を嫌うようになり、ワーカーの募集では人が集まらなくなる。そこでワーカーの代替性が下がり、反比例して賃金がどんどん上がるわけだ。すると、企業はより代替性の高い(賃金の安い)新興国、途上国へ工場を移転する。

 個人のミクロレベルからいえば、要するに自分の代替性はどのくらいあるかで自分の価値を計測する。

 「あなたのクビを切った会社が、会社自身のクビを切るような存在になりなさい。あなたの代替性をゼロになるように取り組みなさい」。企業幹部研修のとき、私はいつも受講者たちにそういう。

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