【Wedge】社員の個人事業主化、その理想と現実~タニタ・谷田千里社長インタビュー(前編)

 日本にはびこる、働き方を巡る「なぜ」の正体とその対処を、人事・労務の専門家の立場から解説した著書『「なぜ」から始まる「働く」の未来』(ウェッジ刊)の著者である立花聡氏が、働き方改革の焦点の1つである「社員の個人事業主化」の現状について、その先頭を行く企業であるタニタへのトップインタビューを行いました。その内容を2回にわけてご紹介します。

 社員の個人事業主化が、脚光を浴びる存在になってきた。

 時代の流れであり、決して間違いとは言えない。だが、それで多くの雇用がフェードアウトし、労使関係が取引関係に変わっていくのだとしたらどうだろうか。

 そもそも、日本においては「雇用」という労使の人間関係に特別な意味が込められている以上、単純な個人事業主化でいいのか。しかも社員の誰もが事業主に向いているわけではない。

 体脂肪計で国内シェア首位の健康機器メーカー、タニタ(東京・板橋)は他社に先駆け、2017年から社員が「個人事業主」として独立することを支援する取り組みをはじめている。開始から4年、現場と現状を知るために、谷田千里社長に話を聞いた。

● 「Do the Right thing」と「Do the thing Right」

――タニタといえば、「健康」。企業にも国家にも健康が欠かせません。「企業の健康をはかる」「企業の健康をつくる」から、「健康な働き方・働かせ方づくり」、さらに「日本の活性化(健康づくり)」まで、谷田社長が作り上げた文脈をみると、「健康」というキーワードをもって、ものすごく整合性がありますね。日本産業社会の健康づくりのリーダーという貫録を感じます。

谷田千里社長(写真はタニタ社提供)

谷田千里社長(以下「谷田」) タニタは「健康づくり」というポジションにこだわってきました。使わなくてもいい医療費を節約してその分無駄をなくせば、消費税や所得税を上げなくても賄える。日本の健康のために寄与できたことで、自分としては達成感が高いと思っています。

 社長になって、これからの人生について考えました。もちろんお金を稼ぐのも必要ですが、何か人生のテーマを作りたいと。そこでイメージをしてみました。リタイヤしたときに、会社を潰すことなく、次の社長に譲る。少なくとも、会社は存続して雇用も守ってきました。でもそれだけじゃやはり味気ない人生で、嫌ですね。

――「Do the Right thing」(正しいことをせよ)、「Do the thing Right」(ものごとを正しく行え)という言葉があります。社員の個人事業主化が「Right thing」だとすれば、それはタニタという単体企業だけでなく、日本産業界全体に浸透してほしいと願うところです。

 そしていよいよ実施段階にあたっては、「Do the thing Right」、いかに効率よく仕上げていくかが問題となります。具体的に、タニタという会社では、個人事業主化に取り組んできて、どんな課題があったのでしょうか。

谷田 会社には、やる気のある社員とそうでない社員がいます。結論からいうと、この2つのグループが存在しているのが課題ではないかと思います。

 社員のモチベーションが上がらないのはどうしてでしょうか。生活のために会社からお金をもらって、仕方なく仕事をやっているから、ダメなんですね。自分のやりたいことと会社のやりたいことがちゃんとすり合わせできたら、それはもう寝ないでもやりたいことになる。それくらいのやる気が出れば、結果的に楽しくて、会社の仕事を自分事のようにやるでしょう。

● 社内の上下関係を取り外す

働き方改革のヒントも盛り込まれている『「なぜ」から始まる「働く」の未来』

 ここで、タニタの「個人事業主化制度」を簡単に説明しよう。

 社員のうち、希望する人は、会社との雇用関係を終了したうえで、別途「業務委託契約」を結ぶ。そして、従来担当してきた仕事を「基本業務」として委託される。報酬については、社員時代の給与・賞与をベースに「基本報酬」が決まり、「基本業務」の範囲を超える仕事は「追加業務」として受注して別途報酬をもらう。

 基本報酬には、社員時代に会社が負担していた社会保険料や通勤交通費、福利厚生費も含む。就業時間の拘束を受けることなく、出退勤の時間は自由に決められる。タニタ以外の仕事を請け負うのも自由。確定申告などを自分で行う必要があるため、税理士法人の支援を用意している。契約期間は3年。5期目となる2021年までに、合計で31人がこの制度を利用している。

――プロジェクトを始めた当初、できれば100%の社員に参加してほしいというお考え方でしたが、実際にやってみて、やはりギャップもあったのではないでしょうか。最終的な落とし所はどの辺でしょうか。

谷田 個人事業主には、向き不向きがあります。なるべく多くの社員にプロジェクトに参加してもらいたいのですが。実際のところ、社員総数の2割で十分ではないかという感覚もありますが、やり方によっては、比率は6割か7割に上がると思います。

――会社と個人の関係性について、粒ぞろいの社員を社内に抱え込むような状態から、外部に出して個の確立と不揃いの分布状態にもっていこうということですが、非常に哲学的です。

 外部に出されて分散すると、個の表面積が増える。私の勝手な解釈をいいますと、稲盛和夫さんのアメーバ経営モデルにも似ていて、アメーバの分裂原理からすれば、新時代のバージョンアップではないかとも思います。

谷田 私は小学校のとき、道徳の授業の時間は聖書だったんです。そこで教わったというか、小学生の理解として、人間には上下はないということで、それがかなり自分の中では「楔」になっています。

 会社という組織のなかになぜ人間に上下関係があったのか、それが不自然でやはりその上下関係をなくしてやろうとも思いました。それが発想の原点だったかもしれません。

――なるほど、ものすごく納得します。組織の中の上下関係を解消するには組織の外へ、という選択になりますね。そこでは上下ではなく対等な横の関係になる。実際にやってみて、どうでしたか。それが実現できたでしょうか。

谷田 個人事業主と会社とが完全対等な関係になると、他社からも仕事をもらってきます。実際にそこまで到達した人はまだそう多くありません。

 ただ社員時代にはなかった、面白い発想をもってきてくれるケースが増えています。それは期待していた通りだなあと思っています。

● 本当の対等な立場とは

――タニタの働き方革命の核心は「生産性」で、「主体性」から「生産性」が生まれる、というふうに考えていいでしょうか。対等な関係は、会社だけでなく、本人にとってもメリットがあるのでしょうか。

谷田 はい、個人事業主と会社とが対等に付き合う関係で言いますと、もちろん法律的にはそうなっているのですけれども、ただうちの会社から100%仕事をもらって生計を立てているとなると、やはりちょっと違うんでしょうね。極端な話、うちとの業務提携(取引関係)が切れても大丈夫な形になれば、本当の対等な立場が成り立ちます。そういう意味で、他社のお仕事を掘り出した方がいいということになります。

 うちの会社では、「主業」と「副業」の概念はなくて、副業を認めていません。この方針は今のところ、変えるつもりはありません。というのは、自社の仕事が「主業」であって、他社の仕事は「副業」というのが他社に失礼だと思うからです。だから、個人事業主になってどんどん自由に他社の仕事を受けてくださいという意味合いが大きい。

――社員だった人も個人事業主になった時点で、主体性や自律性が上がります。本能的に生産性を意識するようになります。本能的というのは、熱い鉄板に指が触れた瞬間に、アチッと瞬時に反応するような感覚です。そういう感覚で生産性を意識するようになる、そんな実感はあるのでしょうか。

谷田 一般的に言えば、自分事に捉えると人生で自分が主人公ですから、深く考えるべきなんです。そのような部分を他人に委ねているところが多いのが社員で、自分でかじ取りしようとするのは個人事業主です。お金が絡んでくる分、やはり個人事業主のほうがもっと敏感になるはずですね。

● 手取りは増加しても、企業負担は抑えられる

――「改善だけでなく、組織のあり方そのものの根本的な見直し」という正論(Right thing)を力強く、谷田社長が訴えました。しかし、正論は分かっていても、いざ実行となるとなかなかできないものです。それは日本社会が「空気」の支配を受けているからだと思います。いくら正論であっても、空気ができていないと、実行は難しい。

 タニタという会社では、正論を打ち出したうえで、社長が実行に移しました。その決め手とは何だったんでしょうか。

谷田 一言でいうと、危機感だったと思います。差し迫った危機が目の前にあるわけではないのですが、シナリオは描いていました。会社が危機的な状況になった場合、その時に実力のある社員に「すみませんが、私と一緒に会社を立て直しましょう。そうじゃないと、会社がつぶれます」とお願いする。

 実力のある社員たちは、会社へのロイヤリティーも高いとは思いますが、しかし、その社員たちも、家族と生活があります。家族の都合や意思もあって、どうしても会社を辞めるとなれば、それを止められません。

 そのような2割の人で会社が回っているのですから、今まで払ってきた社会保険料やら福利やら、源泉徴収されていたものを、ドーンと積み上げて彼たちに渡したら、その分、独立の軍資金にもなります。

 その発想があって、なら雇わなくてもいいじゃないかと思うようになりました。たまたま、うちは小さな組織なので、改革がしやすいというか、私の一存ではじめたわけです。気がついたら、やってしまったと、そういう背景でした。

 たとえば2017年に個人事業主に転じた第1期のメンバーの場合、2016年と比べて手元現金の増加率は平均でプラス28.6%となりました。これに対し、会社の負担総額は前年比1.4%の増加にとどまっています。

――要するに従来の日本型組織の「メンバーシップ型」から欧米流の「ジョブ型」に変わることですよね。

 しかし一方、長い歴史からできた日本固有の慣習や意識、あるいは文化、そういった部分もあります。「社員」か「個人事業主」か、という二択を目の前にして、思い切った決断はできるのかという現実問題があります。戸惑い、場合によっては抵抗があってもおかしくない。

 そこで私が思うのは、「A or B」の二択ではなく、「A and B」のような方向性はないものか。中間地点になるようなニュートラル、言い方を変えると、「踊り場」的な装置があってもいいんじゃないかと。たとえば、バーチャル的な制度のもとで、社員の身分を持ちながら個人事業主の試し運用、みたいなイメージです。

 バーチャルなテスト運用で、自信がついたら、社員をやめて本格的に個人事業主に切り替える。どうも、自分に合わないと思ったら、社員モードに戻ればいい。あるいは、社員身分のまま個人事業主モードでやるとか。イメージとしては、いかがでしょうか。

谷田 A and B のお話ですと、組織としてはAとBの両方がやれるようになっています。中間地点、踊り場については、実は法律改正を待っているんです。今のところ、そうしたAとBのところを出たり入ったりすることは、どうも弁護士から聞いたところでは、なかなか難しいようです。

● 急な舵の切り方ではなかったのか

 戦後高度経済成長を背景に、労使利益が一致した日本独自の雇用関係、そしてそれを土台にした終身雇用制が生まれた。

 しかし、時代がすっかり変わった。もはや企業には、日本的なメンバーシップ型雇用関係の存続ができなくなった。双方利益の一致性を維持するために、タニタは一気に個人事業主という取引関係に飛躍した。その合理性(唯一性)はあったのだろうか。もう少し丁寧に吟味する必要があったのではないだろうか。

 戦後の日本では、新卒の一斉採用から各社は独自の社内教育を施し、社員には自社にしか通用しないスキルを身につけさせてきた。そのうえ、内部労働市場のメカニズムよりも、むしろ人事部の異動辞令によってあちこち社内の仕事を経験させたところ、社員は世間一般、社外にある外部労働市場の競争、サバイバルの試練に晒されることはない。そんな無菌状態に置かれてきた大方の社員には、「明日から事業主になる」という選択肢はいささか唐突に見えたりはしないだろうか。(後編に続く)

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