家政婦とマレーシア、日本は外国人労働者導入するべきか

 我が家で働いているフィリピン人メイドは年末で2年契約が終了するが、よくやってくれたので契約を更新しないかとオファーしたら、喜んで受け入れてくれた。先日手続きを終え、めでたく新年度労働ビザの更新ができた。

0001マレーシアのメイド・ビザ、雇用主の氏名まで表示されている

 メイド、いわゆる家政婦という職業は日本では、ほとんど派遣パートタイマーだが、ここマレーシアではむしろ住み込みのフルタイムが主流である。食費や住居費がゼロで、もらった給料はほぼ全額を故郷に送金する。

 メイドだけでなく、マレーシアは全体的に外国人労働者大国である。1980年代後半に工業化が進むと、人口の少ないマレーシアはあっというま労働力不足に陥った。1990年代に入ると、マレーシアは外国人労働者の導入を本格化させ、業種も建設業や家政婦業から一般製造業やサービス業にまで拡大した。

 これ以降、マレーシアでは、外国人労働者数が恒常的に失業者数を大きく上回る状況が続いている。これは、つまりマレーシア国民が全員職を得たとしても、外国人労働者がいなければ労働市場が回らないほど「超完全雇用」の状況である。

 日本でも最近外国人労働力輸入の問題をめぐって、賛否両論で議論が広がっているが、この辺、マレーシアと比較研究してみるのもいいのではないかと思う。日本の場合もちろん、高齢化という事実は否定できないが、ただそれだけで安易に外国人労働者を投入していいかというと、簡単に結論付けはできない。

 まず、労働力というモノのような取り扱い方してはいけない。外国人労働者はヒトであり、当然権利だけでなく何よりも自由の意思をもつ。それが完全に管理できるという前提はまず成り立たない。いざ受け入れ政策に踏み切った途端に、もう二度と引けなくなることを覚悟しなければならない。家族の呼び寄せ、外国人同士の結婚、日本での出産、子供の教育、最低賃金の適用問題、労働・雇用条件の格差問題、外国人の高齢化・年金問題・・・などなど。

 日本社会は多民族混住国家になることについて、国民の合意ができているのか。マレーシアと違って日本は単一民族国家である。とりわけ文化や生活スタイル、宗教、価値観などなど、どれをとっても外国人の大量流入に親和性をもったものではない。

 特に言語の問題。マレーシアの場合、フィリピン人メイドが英語で通じ、インドネシア人メイドなら、実はインドネシア語はほぼマレー語と同一ものであるように、言語の問題があまり存在しない。ところが、日本は違う。外国人労働者のためのソーシャルワーカーが必要になってくる。

 たとえば、外国人が日本で犯罪を犯した場合、警察や司法当局では外国人の人権を守るうえで、通訳を投入する必要がある。裁判となれば専門の法務通訳が必要になってき、多大なコストがかかることは言うまでもない。この社会的コストは個別の企業ではなく、日本国民が負担することになる。

 このような多面的な検討が必要であって、外国人労働者の導入に関して、日本とマレーシアを安易に同一視してはならない。