泣く子にミルク与えるな、「弱」で武装する偽者弱者は悪質

 「われわれ国民の声を無視して・・・」

 昨今の世の中、勝手に全員を代表する輩が増殖している。せいぜい「われわれ一部の国民」だろう。国民もいろいろ。声を大にして「安倍死ぬ」と絶叫する人もいれば、黙っている人もいる。いや、むしろ黙っているほうが大多数だ。

 「会哭的孩子有奶吃」という中国のことわざがある。「泣く子には、ミルクが与えられる」。弱者の身分を主張し、声を大きくして派手かつ強烈な自己主張をする人が同情や利益を得やすい、ということだ。そこで泣く元気すらない本物の弱者や、泣く価値を感じない強者は往々にして見落とされてしまう。

 政治だけではなく、企業経営現場もまた然り。「われわれ社員は・・・」という声の大きい輩、あたかも全従業員を代表しているかのように見えるが、さあ、どうだろうか。この「泣く子」にミルクを与えてしまうと、今度また泣き出す。そこでやがて、本物の弱者がとうとう潰れ、ばかばかしくなってきた強者がその企業を去る。

 ミルクを与えるルールを誰が決めるかが、物事の本質だ。「泣く子にミルクを与える」という分配ルールの確立を企てるのは、泣く子なのだ。泣かれてすぐミルクを与えてしまうトップは、リーダーの思考放棄と決定権放棄なのである。そのようなリーダー自身へのミルク供給をまず断ち切るべきだ。

 世の中、怖いのは黙る強者よりも、「弱」を武器にして騒ぐ偽者弱者だ。