道徳的粉飾の棄却、闘争心と強き意志で上流へ行け!

 今朝フェイスブックをチェックしたら、友人S氏の投稿に目を引かれた。以下引用させてもらう。

 「なぜ勝利者たちが上流社会に留まるべきか。戦って勝つことを最初から放棄している人々の集団はルサンチマンに満ちた地獄だからだ。そこでは少しでも卓越した者は彼らの中に煮えたぎる暗黒の復讐心の格好の標的になる。戦闘におけるフェアプレイが道徳の源泉だと説いた武士道や闘戦経は正しい。戦いが存在しない場所には、すなわち道徳そのものが無いのである」

 感銘深い投稿に考えさせられることは、2つ。

 まず、「上流」と「下流」。日本では貧困や格差をはじめとする「下流」がよく語られるが、これと比べて「上流」への言及は相対的に少ない。あたかも「上流」や「下流」が収入や財産に直結しているかのような錯覚を与えるが、これについては物心の両面から考える必要がある。

 卓越した者への妬み、復讐心といったルサンチマンの発露はまさに心の「下流」を示唆するものである。これに対して、貧しくても高貴な心を持つ「上流者」もいることを決して見落としてはいけない。

 2つ目は、「平和」と「闘争」。平和とは、敗者とならないための臆病者たちの希望的観測である。それ故、道徳的粉飾が美しく施されなければならない。平和を唱えることは誰でもできるが、勝者になることができるのはほんの一握り。平和大合唱の中で闘いの準備をしている人たちには、周りからの妬みや罵声が一個目の勲章だ。

 定言命法や道徳的な粉飾を疑うところから、上流への道が切り開かれる。

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