獲物貪る瞬間の牙感覚、レバニラ炒めの「食哲学」

 レバニラ炒め、私の大好きな一品。昨晩、研修中の新入社員たちとクアラルンプールの「旺旺海鮮飯店」で最高の一品に出逢えた。

 店主から日本式のレバニラ炒めを薦められたとき、正直やめようと思っていた。理由は1つ。日本国内で供されるレバニラ炒めの多くは、レバーの血抜きがやりすぎ気味だからだ。

 レバーの臭みを消すために入念な反復の血抜きをすること、私からすればそれが馬鹿げている。レバーはスタミナ料理、特に血液に含まれている鉄分などの栄養分ほど大切なものはない。せっかくの栄養分を血抜きで除去するのが本末転倒。

 レバーなどの内臓はどうしても臭みが付く。少々の臭みはまさにレバー本来の姿であって、有難く、美味しく、戴きたいものだ。羊肉も然り。その臭みで敬遠する人が多いが、私は臭みがあるから、羊肉が美味しいのだと思う。

 「旺旺」のレバニラは、程よい血抜きでだいぶ血が残っているようで、それに炒め具合の良さが相まってまさに逸品である。歯をレバーに入れた時の感触。その感触から野性味がピリピリと神経に走り伝わると、いつの間にか歯の感覚が牙の感覚に転換する。
 
 ライオンが獲物を貪るその瞬間。現代人に失われつつある野性的本能を取り戻した瞬間でもある。