南部アフリカ紀行(30)~日本の敗因、アフリカ市場での立ち遅れ

<前回>

 南部アフリカの視察兼休暇、気がついたら連載シリーズは30回も続いてしまった。そろそろ一旦この辺で締めくくりたい。最終回としては、ビジネス関連でやはりアフリカ市場において、中国の強力な先行優位性と比べ、日本が立ち遅れている要因(敗因)について俯瞰的かつ枠組み的に分析してみたい。3つの敗因を挙げたい。

 第1の敗因は、アフリカ支援ありきの前置き

 アフリカといえば、「支援」。これは何も日本だけではない。欧米先進諸国も然り。日本も欧米もさんざんアフリカを支援してきた。アフリカも当たり前のように支援を求めてきた、支援をありがたく得てきた。局部的な好転や改善が見られつつも、アフリカはこれらの支援で全体的に抜本的な変化は見られたのだろうか。

 中国はアフリカへの支援といってもビジネス先導のスタイルを取っている。中国はここのところあまり「支援」を言わなくなった。「協力」といっている。中国語で「合作」(ヘージョウ)というが、その意味は「商売」である。当事者相対のビジネス取り引きによってアフリカ経済の活性化を図るというのは、中国の論理。

 アフリカ現地の人と会話する場合、向こうの反応が面白い。日本といえば「JICA」、中国の話題になると「Business」。まさにその通り。彼らは日本のカネに感謝しつつも、中国人のことを「Very smart business man」といささか敬意の発露を隠さない。その辺美学的、あるいは心理学的に処理するなら、感謝された心地よさに酔い痴れるのもある種の快感獲得法ではあるが、果たしてそれだけでいいのか。日本人には一考する価値はないだろうか。

 2017年度版の「アフリカ進出日系企業実態調査」(JETRO)によれば、アフリカの事業環境に本質的変化が見られ、日本企業の進出理由は民需狙いにシフトし、日本のODAは半減しているという。しかし、もう時すでに遅し。

 では、中国がアフリカ市場で確固たる先行的優位性を確保した後でも、日本と欧米勢は挽回可能であろうか。その答えは恐らく「ノー」である。理由は次の第2の敗因において述べることにしよう。

 第2の敗因は、市場原理への妄信と過剰依存

 中国のアフリカでのビジネスは採算性などの損得を度外視する場面が多い。市場原理に基づけば、まともな民間企業では投資するはずもない案件においても、中国は躊躇うことなく資本やリソースを投入してしまう。

 たとえ政策投資など政府絡みの案件でも、日本や欧米諸国なら民主主義制度下の意思決定は議会の審査や承認、監査を必要とする。根拠薄弱な案件は当然ゴーの意思決定に至らないわけだが、中国にはそうした障害は一切存在しない。つまり市場原理に基づかない投資案件も平然と意志決定され、実施に付されるのである。

 政策案件を中国の国有企業や半官半民制企業や民間企業に投げた場合、企業側に政治的サポートとして資金支援や補助金交付などを提供することが多い。それこそトリクルダウン理論が機能し、民間部門の末端まで潤いが及ぶのである。中身を見ると市場経済でなく、計画経済そのものではないかと分かる。そもそも中国が謳える「特色ある社会主義的な資本主義市場経済」とは、都合によって計画性を導入するというものにほかならない。

 中国は、「見えざる手」と「見える」という両手をもっており、場面によって手を使い分けているのである。

 つまり、そういうとんだ代物だ。いや、でもそれを馬鹿にしてはならない。それはアフリカでは見事に奏功したのである。理由は非常にシンプル。多くのアフリカ諸国では腐敗が横行し、欧米が指向するような民主主義制度の法治国家に程遠い現状であるからだ。その現状が中国のやりかたにむしろ絶妙に噛み合っているところがなんとも皮肉的である。

 ゲームのルールがあるとすれば、日本や欧米よりも中国とアフリカのルールはより本質的かつ高度な親和性を有していると言わざるを得ない。市場原理への妄信と過剰依存、ひいては民主主義制度そのものが日本と欧米のアフリカ市場における足かせになっていると、私は言っているのである。

 第3の敗因は、企業組織の非親和性

 市場原理に基づかない中国のアフリカ進出。その際の組織面からみても、中国勢はアフリカ市場に高度な親和性を有している。本シリーズの第19回あたりから一部すでに触れたが、再度おさらいしよう。

 中国の場合、官民一体のうえ、上級駐在員から現場労働者まで総出でアフリカにやってきている。各階級階層がそれぞれの役割分担を明確に引き受けている。中国という社会全体的なヒエラルキー構造に対して、日本社会は均質的なフラット社会である。全階級を総動員して海外進出するなど、あり得ない話だ。

 日本などの先進国がせっせとカネを投入しアフリカ現地人材の教育訓練に取り組んでいる傍ら、中国は自国労働者をそれでもかと大量にアフリカ現地に送り込んでるのである。アフリカ諸国はさすがに文句を言いたくても、中国から「特色ある協力」を得る以上、何も言えないのである。

 アフリカ進出にあたっての組織の最小単位も異なる。日本の場合は基本的に企業単位だが、中国は個人や家族単位が最小単位となるため、非常に動きやすい。つまり日本の組織よりはるかに機動性に富んでいるのである。

 そのうえ、意思決定の構造も全く異なる。中国企業は独裁性が強く、意思決定のスピードも速い。情報収集や処理の不十分からもたらされるリスクはあるものの、それも後続の試行錯誤によって速やかに軌道を修正していく。しかし日本の組織はまず責任所在の問題がプライオリティーとなり、潔癖的にすべてのリスクを排除しようとするから、時期や機会をどんどん逃してしまっている。

 中国式の組織は概ね戦略といった大枠づくりに強いが、ディテールに弱い。これと反対に日本的組織は細部にこだわりすぎて、ついつい全局感や俯瞰的目線を喪失する。フロンティアへのアプローチという段階までくると、中国式の組織に有利であることは言うまでもない。たとえ失敗しても敗者が淘汰され、また次の挑戦者に取って代わられるだけで困ることはない。しかし、日本的組織にとって、失敗は許されないから、最初から失敗してしまう(機会喪失)のである。

 メンタル面の相違も大きい。特にアフリカでは二流以下で無名な中国企業や個人で裸一貫からのスタートが多く、退路を断ってのアフリカ進出になれば前進するのみ。その生命力、サバイバル力は凄まじい。日本人の場合、事業が失敗すれば「撤退」や「帰国」といった選択肢が常に用意されているから、メンタル的なぜい弱性がどうしても目立ってしまう。

 中国語で「落地生根」と「落葉帰根」という2つの熟語がある。前者とは祖国や故郷から遠く離れた地に根を下して、異国を本拠地として強く生きていくこと、後者とはどんなに地上高い樹の葉でも、いずれは地に落ち根に帰ること、つまり人は最期、遺骨だけでも故郷へ帰ることを意味する。

 総括しよう

 中国のアフリカビジネスは、ビジネス取引的なコンセプト豊富な資金市場原理に基づかない政治的判断と意思決定様式ゲームルールにおける親和性組織とその行動様式における適合性などにより、先行的かつ構造的優位性を有している以上、日本企業はいまさらむしろ同一土俵での競争を断念したほうが良いだろう。

 では、日本はどうすればいいのか。アフリカのサバンナを見渡してヒントを得よう。ライオンになれなければ、したたかなハイエナになるのも1つの手であろう。さて、日本はハイエナになり得るのか?

<終わり>

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