「晴耕雨読」ならぬ「晴耕晴読」の連休、読書雑感

 連休。休めるわけではないが、一応仕事の量を減らして、読書の時間を増やすようにしている。

 晴耕雨読というが、「雨読」では気分が暗いので、やはり「晴読」に越したことはない。幸いにもマレーシアは晴天率が高い。クアラルンプール辺りなら、たまにある夕立を除いて概ね晴れているので、私の読書には最適だ。

 読書とネット情報はやはり大きく異なる。ネット情報は断片的なものが多く、本になると著者の思考回路が分かるし、全体的な文脈もつかめる。さらに本を分類すると、売る(なるべく多くの売上げを得る)ための本もあれば、著者の自己満足のための本もある。それはどうでもよく、読者からすれば、役に立つ内容があるかどうかが一番の関心事だ。

 もう1つ。読書して「その通りだ」と合点がいき、膝を打つことがあっても、では本に書かれた通りにやるかというと、やらない、という人は意外にも多い。「理屈は分かるんだけど・・・」「そうは言っても・・・」と逃げ出し、自己正当化する人たちである。だったら、読まなければ良かったのではないか。

 私も基本的に買わない、読まない本のジャンルがある――「ビジネスの成功体験談」類のもの。ビジネスの成功には、その時その場所、様々な状況や条件があって、これらが絶えず変化している。成功者が有名になると、取材がやってくる。そうすると、後付け的にあれこれを引っ張り出して「体験談」を作り出す、そういうのも珍しくない。

 成功体験よりも失敗談の方にはるかに価値がある。だったら、失敗談を裏返せば成功法則になるのかというと、ならない。例を挙げよう――。「得意分野以外のビジネスに手を出すと失敗する」という通説的な失敗法則があるが、これを単純に裏返して「得意分野をやれば成功する」になるかというと、ならない。

 比べると、失敗法則がより容易に形成されることが分かる。日本の本屋店頭を見渡す限り、「失敗法則」よりも「成功談」が溢れている。それは出版社も商売だから、売れるものを作らないと、餓死する。需要と供給の関係が商売の基本であるからだ。

 出版社やメディアは正義の代弁者でもなければ、正論を示す義務もない。彼たちも糊口をしのぐ必要があるから、売れる本、視聴されるコンテンツを出すのが第一義的なミッションである。偏向報道を批判するよりも、偏向報道を必要とする読者や視聴者(顧客)の存在を無視できない。

 偏向を是正できる読者や視聴者になればいい。それだけのことである。

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