靖国神社参拝・遊就館拝観所感

 1月10日、東京出張中に時間を作り、半日かけて、靖国神社を参拝し、遊就館をゆっくり拝観した。恥ずかしいが、はじめての遊就館拝観で、数千点の展示物はとっても2~3時間では見切れず、悔しい思いだった。

106320_2靖国神社

 靖国神社参拝は、ごくごくあたりまえのことで、なぜここまで政治化されたか、私は不思議に思う。太平洋戦争はどのような戦争か、世の中、いろんな当事者がいてそれぞれの立場や利益があって、ある出来事にいろんな観点や目線があってもいいと思う。

 この戦争は、戦略戦争だと思う日本人もたくさんいるだろう。また侵略戦争としてそれを非難する日本人も少なくない。これは侵略戦争だとしよう。では、もし、あなたが一人の普通の日本人として、あの時代に生まれた場合、それでもその当時に、胸を張って、「いまの戦争は、侵略戦争だ」と、はっきり口にして言えたのか。それを自問してほしい。

106320_3就館のゼロ戦展示

 「国のために戦う。戦場で命が散ったら、靖国神社で会おう」。このような時代に、数えきれない家庭、愛する夫や父、あるいは息子を戦場に送り出し、そして彼らは帰らぬ人となる。戦争に負ければ戦犯になる。こういう人もいるだろう。国家間の戦争で敗戦した国の関係者は戦犯とされるが、しかし国内では公務執行に起因する殉職となるわけだ。立場が違えば結論も違ってくる。

 異なる時代、異なる当事者、異なる利害関係、異なる結論。これは世の多様化であろう。それに、何よりも大切なことがある――。「死ねば、神であり、仏」というのは、日本独自の文化である。日本では、死ねば誰しも神や仏となる。「御霊」という概念についても、唯心論の次元の問題であって、政治や外交によって変色や変質するものではない。

106320_4靖国神社

 この辺は、日本の政治家がもっと海外に情報発信しなければならない。安倍首相が中韓に対し、「丁寧に説明する」と言っているのが評価できるし、是非、それが拒否されることなく、早期実現してほしい。

タグ: