【Wedge】香港が「第2の天安門」になり得ない理由とは?

 香港問題は解決の糸口が見えていない。境界付近の深圳地域に人民武装警察が集結しているとの報道を受け、中国が直接鎮圧に乗り出すのではないかとの観測も広がっている。拙稿『香港問題の本質とは?金融センターが国際政治の「捨て駒」になる道』に述べたように、「最後の一線」(香港当局だけで手に負えない状況が発生した場合)を超えない限り、中国側の強硬介入による直接鎮圧の可能性は非常に低い。それは中国は香港という「金の卵を産むニワトリ」を潰したくないからである。

● 香港と「天安門」の根本的な違い

 まず、境界地帯に集結している人民武装警察の大部隊について、中国は積極的に報道している。なぜかというと、逆説的だが、それを実際に越境させ抗議活動の鎮圧に投入したくないから、見せつけているのである。中国流に「筋肉ショー」というが、軍事パレードに最先端武器を登場させるのと同じ原理で、敵を震撼させるためだ。「デモ参加者よ、早く家に帰れ、然もなければえらい目に遭うぞ」と。

 しかし、どうやら威嚇はあまり効いていないようだ。聡明な香港人がとっくに見抜いているかもしれない。「第2の天安門事件」といわれているが、香港は天安門とまったく異質的な状況におかれている。

 香港の場合、すでに多発デモの様相を呈しているように、抗議者は移動しながら「ゲリラ戦」を展開している。天安門広場のように抗議者を囲い込んで袋叩きにすることはなかなかできない。携帯電話すらない30年前と違っていまはスマホを誰もが持っている。SNS(交流サイト)を駆使すれば、鎮圧部隊の動静情報が瞬時に伝わる。つまり、武力鎮圧は必ずしも一定の「殺傷力」が保証されたものではないということだ。

 中国の武装警察あるいは軍人が越境して香港の市街地に進入し、デモ参加者にある程度の武力を行使したものの、「見せしめ」の効用・抑制力が瞬時に発揮できなければ、問題が深刻化する。いうならば、スポット的・ゲリラ戦的な武力鎮圧の長期化・泥沼化は現実的に不可能だ。

 もしそれが長期化するならば、現状維持で引き続き香港警察に任せたほうがよほど合理的ではないか(ただし、10月1日中国建国70周年記念日というタイムリミットがある)。抗議デモはすべてブルドーザーによって解決されるとは限らないのだ。

 今の香港は30年前の北京とまったく異なる。閉鎖的な社会主義国家の首都と開放的な国際金融センター、アジア屈指の国際都市。この鮮烈なコントラストが世界に与える衝撃は想像を絶する。さらに、多くの海外メディアや市民メディア(ソーシャルメディア)によって鎮圧現場の実況が世界中に生中継されるだけに、袋叩きに遭うのは北京政府にほかならない。

 なので、鎮圧されるほうよりも、鎮圧するほうが鎮圧を恐れているのだ。

● 香港は中国の支配階級の「金庫」である

 香港は「金の卵を産むニワトリ」だけでなく、エリート階級御用達の「金庫」でもある。仏ル・フィガロ紙の記事は、中国のいわゆるエスタブリッシュメントたる支配階級やエリート層が香港に多かれ少なかれ何らかの経済的利益を有しているだけに、北京政府にとって香港問題が一層複雑化していると分析している。

 1997年の返還に先立って香港はすでに中国人富裕層の「金庫」になっていた。高官の子女や親戚などいわゆる「紅二代」は、コネクションで一部の国際銀行の香港支店に就職し、金融取引をより容易に行えるように力を行使してきた。

 香港で教鞭を執るフランス人漢学学者・中国研究家のジャン・ピエール・カベスタン(Jean-Pierre Cabestan)氏は、「多くの中国人エリートは香港に資産を保有しており、高官とその親族らは香港に不動産や、香港企業あるいは香港でコントロールする租税回避地のオフショア・カンパニーをもっている」と解説し、「香港問題の処理にあたって当局は様々な選択肢を前に、このような要素も折り込んで慎重に検討するだろう」と分析している(8月16日付け台湾中央社記事)。

 日本人にとって、オフショア・カンパニーたるものは馴染みが薄い。少し説明を加えておこう。

 「オフショア」とは、金融用語で「タックス・ヘイブン」租税回避地の同義語として用いられている。「オフショア・カンパニー」(中国語で「離岸公司」という)とは、要するに所在国(岸)から離れた場所(沖合)でよそ者同士が取引を行うための会社である。そのために、税金を取らない、あるいは少額の税金しか取らないという特典を提供する。さらに一部のオフショア・カンパニーは年度監査も求められていない。

 日本国内ではどうも「節税」やら「脱税」やらそうしたグレーなイメージしかない「オフショア・カンパニー」はあまり表に出てこないし、数少ない行政書士やコンサルタントが細々と設立代行業をやっているだけである。

 しかし、香港や中国国内では「オフショア・カンパニー設立・運営代行業」は歴然とした産業、少なくとも1つのビジネスカテゴリーである。そのなかに大手企業も存在する。たとえば、香港に本社を置くS社の場合、「1995年創立、香港や中国に複数の拠点を持ち、いずれも中国各大都市の都心部の一等地に位置し、延床総面積1万4000平米、専門コンサルタント400名超、顧客数延べ40万社(オフショア・カンパニー)」とそのウェブサイトで紹介されている。

 このS社をはじめとする「オフショア・カンパニー設立・運営代行業」は、中国国内の富裕層・資産家を顧客とし、中国人に人気なBVI(英領ヴァージン諸島)やケイマン諸島、サモア、セーシェルなどのオフショア・カンパニーの設立や銀行口座開設の業務を代行している。

 何よりも、これらの遠隔地である島に会社を作っておきながらも、銀行口座はすべて香港に開設することができるのである。香港の銀行には「オフショア・アカウント」という特別口座の分類があり、最近はマネーロンダリング関係の審査やモニタリングが徐々に厳しくなったものの、口座の運用には大きな支障が出ていないようだ。これはつまり、前出のカベスタン氏が指摘していた「香港でコントロールする租税回避地のオフショア・カンパニー」のことである。

 香港がもし金融センターの地位を失えば、オフショア・カンパニーの中国人オーナーたちはさぞかし困るだろう。因みに、シンガポールの銀行は、オフショア・カンパニーの法人口座開設に非常に厳しい姿勢を取っているようだ。

● 香港は社会主義が制御する資本主義の街だ

 「香港でコントロールする」――本質的な洞察である。

 「香港株式市場も好例だ。多くの中国(本土)企業が香港株式市場に上場しているが、中国当局はこれらの企業に対するコントロールを一刻も緩めていない。中国の国有企業に共産党委員会を設置する動きが香港にも広がり、当地の株式市場ではコーポレートガバナンス(企業統治)を巡る懸念が浮上した。香港株式市場に上場する中国の国有企業またはその子会社のうち少なくとも32社が2016年以降、取締役会への助言を行う党委員会を設置するために会社組織の変更提案は相次いで提出され、市場参加者の間では、これらの企業の支配権は誰が握るのか、投資家の利益のために運営されるのかなどの疑問が提起されていた」(2017年8月15日付けウォール・ストリート・ジャーナル記事)。

 中国は資本主義・自由主義のシステムを、良いとこ取り的にうまく利用している。「取其精華、去其糟粕」という中国語の成語がある。「事物の最も優れた部分を取り入れ、かすの部分を取り除く(廃棄する)」という意味だ。鄧小平はあの有名な南巡講話(1992年1月~2月)中にこう語った――。

 「社会主義は資本主義と比較して優位性を勝ち取るために、人類社会が創造したあらゆる文明の成果、資本主義の先進国を含む現下の世界各国の現代生産体系を反映するあらゆる先進的な経営モデルと管理方法を大胆に吸収し拝借しなければならない」

 鄧小平は資本主義の自由経済メカニズムを体系的に導入するとの一言も言っていなかった。さらにいうと、元々文化や伝統の継承にあたっての取捨選択を意味する「取其精華、去其糟粕」だが、中国共産党はイデオロギーのバイブルとされているマルクス主義の理論に対しても同様な姿勢を取っていた――。

 「われわれはマルクス主義の世界観と方法論を堅持しながらも、思想を解放し、事実を追求し、時とともに進み、その(マルクス主義)なかの一部の具体的な内容や観点については、新しい時代の特徴に即し、批判的に継承したり、あるいは発想豊かに発展させなければならない」(劉炳香編著『党の執政能力建設と測定評価』)

 「取其精華、去其糟粕」の原則は中国の政治・経済運営の各方面に浸透している。資本主義の市場経済においてもまた然り。政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場の働きに任せるという意味における、いわゆる「レッセフェール」的なメカニズムは決して受け入れられるものではない。むしろ、政府が進んで市場の経済活動に介入し、コントロールしようとする。昨今の米中貿易戦争では、米政府が中国側に国有企業や特定産業への補助金削減を求めているのも、その一例である。

 そうしたなかで、香港は資本主義の市場経済を基調とする国際金融センターでありながらも、中国側のコントロールもしっかりと及ぶ、この上なく便利な場所なのである。

 ゆえに、「金の卵を産むニワトリ」を潰すわけにはいかない。中国政府内部あるいは共産党内に強硬派が存在しても主流ではないだろうし、習近平氏も決して武力介入派ではないはずだ。つまり繰り返しているように、ぎりぎり「最後の一線」を超えない限り、中国側が強硬介入に踏み切る可能性は非常に低いと、私が見ている。たとえ、いわゆる武力鎮圧による介入があったとしても、中国側は単独行動ではなく、香港警察の補強としてあたるだろう。実弾を使うことも想定しにくい。

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