私はこうして会社を辞めました(8)―恐怖の朝礼と昼寝

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(敬称略)

 トステムにいる間、私は、上司に色々な迷惑をかけた。というよりも、私は、歪な存在だった。

 私のいる本社ビル5階は、5~6の部があって、総計50名近くの従業員がいる。毎朝朝礼当番といって、一人の従業員が10分間皆の前で小スピーチをすることになっている。平均3ヶ月1回くらい朝礼当番が回ってくる。私は、当番の1週間前から、その10分間スピーチのために入念な準備をはじめるのだった。

 スピーチの内容といえば、原則自由となっており、日常仕事の心得とかがほとんどだが、私の場合、時事評論に決まっている。一時、米の輸入問題で盛り上がったころ、私は、「国産米の保護よりも、消費者に選択の自由を与えるべきだ」と米輸入の自由化主張を論点として打ち出し、朝礼で10分超過の長スピーチを行った。後日、上司の部長から、「立花君、今度の朝礼はもっとソフトな話題にしないか」と注意を受けた。

 私は、昼休みに本社食堂で食事を済ませると、自分の机で顔を伏せて30分くらい昼寝を取る習慣があった。すると、同僚たちも私の真似して皆昼寝するようになった。ある日、私が部長に呼ばれる、「立花君、昼寝は基本的に自由だが、隣の部は皆読書しているだろう、うちの部だけ全員昼寝しているのは、いかがなものか・・・」

 漫画や小説を読むよりも、しっかり休憩を取って、すっきりした状態で午後の仕事に臨むべきではないか、しかも、昼休みの電気代が無駄遣いだと私が主張する。しばらくすると、私の意見が取り入れられたのか、昼休みは電気を一斉に消すようと本社指示が出た。すると、フロア中真っ暗になって全員顔を伏せての昼寝タイムになった。中にグーグーいびきをかく強者も出現した。やがて、私は、航空機内睡眠用のエアー枕までオフィスに持ち込んだ。すると、あっという間に、フロア中にエアー枕ブームへとエスカレートした。あれ以来、昼休みの読書は、明るい窓際にいる部長たちだけの特権になってしまい、午後の仕事中に、あくびの連発で眠気と必死で戦う部長たちを見て、私がこっそりと笑った。

 残業も同じだった。私は、付き合い残業が大嫌いだった。仕事もないのに、分厚いファイルをペラペラめくっては、時計をちらちらのぞく人を横目に、私は仕事を終えると、上司と同僚に「お疲れ様、お先に帰宅します」と大きな声で挨拶して、さっさと退社する。

 人の命には限りがある。一分も一秒も無駄にしてはならない。無意味なことは絶対にしない。理不尽にはイエスと絶対に言わない。私は反骨精神の持ち主として、ブランドの定着と同時に、後ろめたさも感じるようになり、自分のサラリーマン失格と自覚し始めたのは、あの頃だった。

 海外へ行こう。自由に、自由に、青い大空を飛びたい。私の夢が膨らむ。

<次回>