東京出張(3)―思い出探しの東京歩き

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23836学生時代の思い出が詰まる高田馬場ビッグボックス

 今日の午後半日、アポが入っていません。そこで、急遽思い立ち、大学時代住んでいた界隈が懐かしくて、思い出探しに出かけることにしました。

 私が早稲田大学に通っていた頃、85年から4年間住んだのは、東京の練馬区豊玉南というところでした。練馬区といっても、中野区との境目にあり、最寄りの駅は、西武新宿線の沼袋駅でした。沼袋から4駅で高田馬場に出て、そこから徒歩15分ほどで早稲田大学の大久保キャンパス(現在西早稲田キャンパス)に通っていました。

 JR山手線に乗ってまず高田馬場に行き、そこから西武線に乗り換えました。高田馬場は、あの懐かしいビッグボックスも外壁の塗装が少し垢抜けになっただけで、ほとんど変わっていません。「早大正門行きのバスはこちらです」と叫ぶ誘導係も相変わらずいました。

 学校の連中らと連日酒を飲み、馬鹿騒ぎをやった居酒屋もありました。あの玄関先で、私が飲みすぎて酔っ払った勢いで自転車を蹴っ飛ばし、そして、嘔吐して転倒した場所もそのまま。すみませんでした、あのとき、社会にずいぶん迷惑をかけました。二十何年も前のことで、もう時効だから、ここに書きますが、恥ずかしい限りです。

23836_2西武線沼袋駅
23836b_2沼袋駅前商店街

 西武線に乗って10分たらずで沼袋に到着。駅は、階段がエスカレーターになった以外にほとんど変わっていません。スーパーの西友もそのまま、一時期、毎日のように買出しして自炊していたことを思い出します。得意料理は、牛肉の赤ワイン煮込みでした・・・

 沼袋商店街を北上します。大店舗がどんどん増える東京でも、ここの商店街はまだ健在です。あった、あった、串かつが美味しいお惣菜屋さん、声のデカイおばさん売り子の八百屋さん、1000円で髪を切っていた床屋さん、大学時代の恋人とお茶を飲んでいた小さな喫茶店・・・20数年前の記憶が鮮明に蘇る。涙が出そう・・・

23836_3平屋や低層建築が多い住宅街
23836b_3私が住んだマンションの前にある徳殿公園

 商店街を通り抜けると、閑静な住宅街に入ります。住所は中野区の江古田ですが、この界隈は平屋と低層建築が多く、とても落ち着いていて大好きな町並みでした。ここも昔のまま。

 いよいよ練馬区に入ると、当時借りていたマンションの前に広がる徳殿公園が見えてきた。緑がいっぱいです。盛夏の蝉や秋の虫の鳴き声も変わっていないのでしょうね。

 あった。公園の交差点に、私が住んでいた白いマンション。当時新築でピカピカだったマンションが、さすが築25年になると、かなり黒ずんで老化したように見えました。最上階の右端の305号室が見えます。狭いワンルームに、我が青春の思い出が詰まっていました。

23836_4私が大学時代に住んだマンション(最上階の右端の部屋)

 どっか激変の国と違って、ここ大東京の目立たない一角に、いつまでも、昔と変わらぬ暮らしの営みがあった。私が、公園のベンチに腰を下ろし、木々が風に揺れる音に、しばらく耳を澄ませます。目を閉じれば、自分の人生の歴史の一幕一幕が蘇る。知らずに涙があふれました。

 皆一人一人自分の小さな歴史があります。時には、振り返ってみると、何かが見えてきます。喜び、悲しみ、悔しさ、感謝・・・錯綜するのが思い出であって、人間は思い出ほど貴重な財産はありません。

 何も変わっていません。「変わらない」ことって、どんなに素晴らしいことか。が、鏡に映る自分だけは変わっている。白髪が日々増えれば、最近床屋に行くと「黒染めしませんか」と勧められます。私は、いつも断ります。歴史をこの目で確認したいからです。

 「変化中の不変、不変中の変化」、相互交差する世の中だからこそ、面白い。そして、健康で生きる一日一日は幸せで溢れている。このような幸福をかみ締めては、感謝の気持ちがいっぱいになります。

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