分配一色の日本社会、共産党は本領発揮の「成長株」化

 日本は総選挙もあって、「分配」一色だ。それだけは、与野党が一致している。日本国家は本当に、「分配」を必要としているわけだ。

 「分配」には、概ね2つの意味がある。1つは豊かになるための分配であって、もう1つは食いつなぐための分配である。様子が逼迫しているだけに、後者の分配であろう。

 食いつなぐための分配。正確に言うと、分配ではない。救済である。であれば、弱者・貧困者という社会下層が救済対象となる。下層が少数なら、なかなか表に出てこない。これだけ大騒ぎになっているのだから、少数ではないはずだ。つまり、日本の中間層の少なくとも中の下あたりが救済を必要としている。

 要するに、中間層の下がすでに下層に転落したのだ。さらに中間層の中も下方に向かっている。いまだに多くの日本人は自分が中流と思っているのが、大きな間違いである。

 日本社会からは、中間層が溶解しつつある。私が「溶解」という言葉を使っている。固体が溶けて液化し、新たな形状に固化する。社会構造の変更は溶解と再固化によって進行している。
 
 分配といえば、共産党が本領を発揮する番だ。6年前に私がこういった(参照:2015年9月22日付『自共二大政党国家への道、大同小異民主の敵の敵は味方か』)――。

 「特にここのところの日本社会の変遷、貧富の格差の拡大などといった社会現象は共産党にとって決して悪い話ではない。多くの国民にはガス抜きが必要だ。共産党はそのガス抜き機能を持っている。するとそれが間違いなく集結力につながる。そのパワーが一気に強まることはないが、じわじわと影響を拡大することが可能であろう」

 私が日本共産党の「成長性」を評価していた。いずれ、自共二大政党の戦いとみていたが、それは様子が少々違っていた。自民党が社会主義色を増しているのだ。岸田氏の「新しい資本主義」はどうも胡散臭く、「新しい社会主義」の実体が表れつつある。

 日本社会の風景がだんだん怪しくなってきた。

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