スリランカ日記(5)~象に踏まれるか電車に轢かれるか

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 12月28日午前、一路とスリランカの古都キャンディ(Kandy)へ向かう。高速道路がないものの、インドに比べると、道路事情はそう悪くないといえる。

 昼前に、キャンディからおよそ30キロ離れたケーガッラという街の郊外にあるピンナワラ象の孤児園に到着。「象の孤児院」とは、迷子になったり密猟によって親をなくしたりした子象などを中心に保護されている場所だ。

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31645b_2至近距離の象の大群、大迫力!

 柵がない。大迫力だ。象の大群には至近距離で接近できる。「至近距離」とは、ゼロメートルのこと。小象に触れることもできる、という信じられない場所だ。危険性の説明は一切ない。さすが、大象に接近すると、象使いの係員に止められるが、ほかは観光客のやりたい放題だ。

 いわゆる「At your own risk」、つまり「自己責任原則」だ。

 日本なら、駅のホームでは、「電車が参ります。危険ですから、白線の内側でお待ちください」というお馴染みの危険告知アナウンスがある。さて、「電車に轢かれる」ことと「象に踏まれる」ことを比較してみよう。どっちが危ないか。まず、両者の結果は同じ――人間の負傷か死亡。しかし、事故発生の条件と予見可能性はどうだろう。

31645_3こちら、自由な私と自由が奪われた象~凶暴な象は鎖をかけられ独房監禁になっている

 いかなる事件も、「自分」「相手」と「第三者」が存在する。「電車」の場合、電車が脱線してホームに突っ込んだとき(相手原因)、他人に線路に突き落とされたとき(第三者原因)、または自身が線路に落ちたとき(自身原因)に事故が発生する。「相手原因」と「第三者原因」の確率が非常に低いので、一般的に「自身原因」の事故がもっとも多発する。つまり、人間が自ら線路に落ちさえしなければ(飛び込みさえしなければ)、電車に轢かれることはまずほとんどない。言い換えれば、最大なリスクの元は「自身」にある。

 「象」の場合は、どうだろう。自分(自身)が接近しすぎるなどの挑発行為、周りの他の観光客(第三者)の挑発行為、或いは象(相手)の気分でも事故が発生するのである。つまり、「自身」「相手」と「第三者」のいずれかまたは複合的な誘因・原因によって事故が発生し、象に襲撃されたり、踏まれたりすることがありえるのだ。

31645_4夕方、キャンディのペーラーデニヤ植物園でアフタヌーンティ

 だから、「象」の危険性と事故の不可予見性が「電車」よりはるかに高いのである。なのに、「自己責任原則」の適用、しかも「自己責任原則の適用」について明確な告知すらないことには、驚く。後から、入場券の裏に細かい文字で書かれた約款を読むと、以下三項目が掲載されていたことに気付く。
 ● 象と一定の距離を保つこと
 ● 所定の立ち入り禁止ラインを超えないこと
 ● 騒音を立てないこと(楽器類の演奏、ラジオや録音機の放送、歌を歌うことなど)
との記載がある。しかし、
 ● 「一定の距離」とはどのくらいかは明示されていない。
 ● 園内で立ち入り禁止ラインを見た覚えがない(柵がなく、象群が自由に移動可能のため、制限区域の設置は事実上不可能である)。
 ● 他の観光客の挑発行動、あるいは、雷などの自然現象(不可抗力)によって引き起こされた(興奮した)象の人間攻撃事故に巻き込まれ、被害を受けたときの対処は明示されていない。

 海外に来ると、日本という国の姿がより鮮明に見えてくる。ある意味では、国民に対する過保護のツケが今、回ってきたとも言える。国頼みや官頼み、会社頼みに起因し、日本人の「自己責任感」の低下が生存力、サバイバル力の低下を招致している。

 スリランカ象の大群を眺めながら、そう考えたのだった。

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